大河ドラマ『光る君へ』“勝手に解説”〜第十二回(3)ー③定子の出家 | 愛しさのつれづれで。〜アリスターchのブログ

大河ドラマ『光る君へ』に関して、勝手に、私感含めて書いております。ネタバレは~という方はご注意ください。

読み進む前に「はじめに」をご覧いただければ幸いです。



③定子の出家

五月一日、ついに検非違使に二条北宮の大捜索を指示する宣旨が下ります。『光る君へ』第二十回では実資が二条邸にやってきていましたが、実際の捜査の指揮を執っていたのは配下の允亮であったとされています。

その大捜索の様子は、

「寝殿の戸を破り天井や板敷をはがす」

という、まさに大騒動ハッだったといいます。捜索の末発見された定子は車に載せられ、隆家は自責により捕らわれることを決断、出雲へ送られることになります。また定子はショックから自ら髪を切り悲しい母親の貴子もこれに続きました。しかし伊周はどこかへ逃亡してしまったのですガーン

二日、允亮は伊周と愛宕山付近まで行動を共にしていた近習の藤原頼行の証言を一条天皇に報告。一条天皇は頼行を伴って捜索を続けるよう命じます。四日、伊周は出家した姿で二条北宮に戻り、母親の高階貴子を伴って配所へ行きたいと奏上しますが、一条天皇はこれを許しませんでしたぼけー伊周は裁定を待たずに貴子を連れて都を出、長岡の石作寺に入ります。しかし翌五日、「母を連れていってはならない」という宣旨が母子二人にもたらされるのです。伊周と隆家は「病によって配所へは行けない」ネガティブと奏上し続け、十五日に伊周は播磨、隆家は但馬に留められて療養することを許されます。

六月八日、定子は二条北宮が焼け落ちる炎という不幸に見舞われます。身重の定子は侍に抱えられて難を逃れ、高階明順邸に移ります。しかしその明順も四月二十四日の除目で配流が決定しており、定子の後ろ盾はほとんどいない状況となってしまいます。


一条天皇の厳しい対応に驚く人も多いかもしれません。しかしよくよく考えると、左遷とは言えここで素直に命令を受けておけば、少なくとも伊周は一~二年で京へ戻る可能性が高いのです。加えて定子は妊娠中で、皇子が誕生するかもしれません。今のところ後宮には定子に対抗できる女性もおらず、一条天皇の定子への愛情にも変わりがないので、ここでおとなしく受け入れれば23歳の伊周にも後々チャンスが回って来るかもしれません。何より、ここで罪は罪として処罰しなければ、また身内びいきな世の中になると不満が出かねません。それなのに、二人はいたずらに赴任を拒否し続けます。これにより、一条天皇はじめ公卿層の伊周・隆家兄弟に対する不信感は強まってしまったのですショボーン