大河ドラマ『光る君へ』“勝手に解説”〜第十二回(3)ー②伊周と隆家の左遷決定 | 愛しさのつれづれで。〜アリスターchのブログ

大河ドラマ『光る君へ』に関して、勝手に、私感含めて書いております。ネタバレは~という方はご注意ください。

読み進む前に「はじめに」をご覧いただければ幸いです。



②伊周と隆家の左遷決定

四月二十四日に開かれた除目において、伊周を大宰権帥(従三位)、隆家を出雲権守(従五位下)への降格が決まります。

正暦五年(994年)五月に従三位に昇った隆家が従五位下まで降格されたのは主犯と見做されたからでしょうし、【安和の変】の源高明のように、伊周が正三位→従三位へ一階級下げられたうえに地方赴任を命じられるだけでも大変なことですびっくり

一条天皇の行動は早く、直ちに大内記に対して配流の理由を述べた宣命を書かせます。そこには主な罪状として、

二重丸花山法皇を射ること

二重丸女院を呪詛すること

二重丸私に太元帥法を行うこと

が記され、またその日のうちに検非違使で明法博士でもある惟宗允亮に伊周を都から配所へ追うように命じます。

この動きに、一旦内裏に戻っていた定子は再び退出し、二条北宮に移ります。同じ二条邸にある伊周の居所である西対にやって来た允亮は、配所へ赴くよう促す一条天皇の言葉(勅語)を伝えますが、伊周は重病を理由に配所へは行けないゲホゲホと奏上します。しかし一条天皇は早く車に載せて配所へ向かわせるよう指示したプンプンと『小右記』には記され、そこには断固とした天皇の意志が見えます。

二十五日、允亮は「伊周が定子とともに、御在所である北宮に立てこもって催促に応じない」汗ことを何度も一条天皇に奏上しています。一条天皇は許すことなく、伊周を配所へ追うように再度命じるのですが、二十八日になっても伊周と定子はどちらも相携えて離れることがなかったと『小右記』に記され、要請に応じることがなかったとされています。


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