大河ドラマ『光る君へ』“勝手に解説”〜第十二回(3)ー①一条天皇の対応と定子 | 愛しさのつれづれで。〜アリスターchのブログ

大河ドラマ『光る君へ』に関して、勝手に、私感含めて書いております。ネタバレは~という方はご注意ください。

読み進む前に「はじめに」をご覧いただければ幸いです。




(3)花山院放射事件への対応

①一条天皇の対応と定子

二月五日、検非違使別当(今でいう警察庁長官)の藤原実資は一条天皇の命を受け、伊周の家司宅を検非違使に捜索させます。平安時代中ごろから、犯罪についての対応は天皇の意志で裁定を行うもの(勅裁)と天皇の委任によって検非違使庁が主体となって裁定する使庁裁という体系が出来上がったと考えられています。前年に勧学院の所領で起きた殺害事件についての指示を行うなど、一条天皇には犯罪処理に積極的に参加する姿勢が見られます。そんな一条天皇ですから、にわかに起こった高官の騒動にも毅然とした態度で臨むことになるのです。

このころ五位以上の官人宅を捜査するには勅許が必要で、伊周は正三位でした。しかし天皇は事態を重く見て「直ちに」捜索するよう命じている物申すことが『小右記』に記されています。

二月十一日、一条天皇から明法博士(法律の教授)に、伊周と隆家の罪状について法律的な解釈を調べるよう勅命が下されます。頭中将・斉信が陣座にやってきて勅命を主宰である道長に伝えると、集まっていた公卿全員が首をかしげ嘆いたぼけーと『小右記』には記されています。こうして伊周の政治家としての立場はなくなってしまったのです。

二十五日、このころ中宮定子は内裏の凝香舎から職御曹司、内裏の外に移ります。さらに三月四日には一条天皇の綸旨により実家の二条北宮へ移ることを命じられ、大内裏の外に出されてしまいます。綸旨とは天皇の口頭での命令を蔵人所で整えて出すものなので、これが定子に対する一条天皇自身の決定であり、妊娠が発覚した定子への配慮でもあったのではないかと考えられます。しかし二条邸への遷御には平惟仲(中宮大夫、故兼家の家司)源俊賢以外の公卿は「障り」があると言って付き従わなかったと『小右記』には記されています。

三月二十八日、詮子が病となり大赦が行われます。しかしこれは呪詛によるものだとか、まじないに使用する人形が詮子の部屋の床下から出てきたなどの噂が立ちますしょんぼり

四月一日、「太元帥法」(たいげんのほう、天皇の安寧や鎮護国家を祈る密教の法要)を行う法琳寺において、伊周が私的にこれを行い道長を呪詛したとの報告があり、伊周及び中関白家はいよいよ追い詰めらてしまうのですショボーン


右矢印(3)ー②に続きます犬