大河ドラマ『光る君へ』“勝手に解説”~第十二回 (1)長徳の変の発端 | 愛しさのつれづれで。〜アリスターchのブログ

大河ドラマ『光る君へ』に関して、勝手に、私感含めて書いております。ネタバレは~という方はご注意ください。

読み進む前に「はじめに」をご覧いただければ幸いです。



 

 

『光る君へ』第十九回と二十回が良すぎて放心状態チーンになっております。

なるほど、そう来たか!の連続で唸りっぱなしデス(⌒-⌒; )

では、平安中期の大騒動【長徳の変】について、時系列を追ってみていきましょうルンルン

 

 

第十二回 長徳の変と為時の越前国赴任 

 

(1)長徳の変の発端

長徳二年(996年)正月十六日、伊周・隆家による花山法皇襲撃事件が起きます。

『栄花物語』によると・・・


伊周は兼家の異母弟・亡き為光の娘で三の君(ドラマ内では光子)という女性の元に通っていた。するとそこに花山院も通っているようで、悩んだ伊周は隆家に相談します(ここで、為光という名前にピン電球ときた方はいらっしゃいませんか?そうです、花山院最愛の人・祇子の父親です。為光には祇子のほかにも六人の娘がいたようです)

実は花山院は同じ邸宅に住む四の君(ドラマ内ではタケコ)の元に通っていたハートのですが、伊周はこれを自分と同じく三の君の元に通っているアセアセと勘違いしてしまったのです。さて相談された隆家は軽く脅してやろうと思ったのか、故為光邸に数人の腕の立つ者たちと待ち受けて、花山院の従者に向って矢を射かけさせます。しかし、その矢はあろうことか花山院の袖を射抜いてしまったのですガーン伊周・隆家はもちろん、花山院としても女性関係でのイザコザなので黙っておこうとしたけれども、結局広く知れ渡ってしまった―


と語ります。

一方『小右記』はどうかというと、「三条西家重書古文書」の中の逸文記事「右府(道長)消息」に

ー花山法皇が伊周・隆家と、故為光邸で鉢合わせして闘乱になった。(法皇の随身である)童子二人が殺害され、その首を持ち去った―

と記します。こちらの方は短いながらもぞっとする内容ガーン

また『小記目録』(「小右記」を項目ごとに分類)には花山院と隆家の従者同士が闘乱に及んだようだとしています。

共通するのは、花山法皇と伊周・隆家が故為光邸で争いになったことです。背景を抜きにしても、これは大変なことです。二十五日に開かれた除目では伊周の席が撤去されたともあり(『愚管抄』所引「小野宮記」)一気に追い詰められていくのがうかがえます。


右矢印(2)ー①に続きます猫