大河ドラマ『光る君へ』“勝手に解説”~第十回(3)ー②伊周の焦り | 愛しさのつれづれで。〜アリスターchのブログ

大河ドラマ『光る君へ』に関して、勝手に、私感含めて書いております。ネタバレは~という方はご注意ください。

読み進む前に「はじめに」をご覧いただければ幸いです。

 

 

 

 

 

 

②伊周の焦り

長徳元年(995年)三月八日、一条天皇は「関白が病を患う間には文書等を“まず”関白に見せて“次に”内大臣に見せて奏聞するように」ということを伊周に伝えます。これはあくまでも「道隆と伊周の二人で文書を内覧するように」という趣旨です。しかしこれを聞いた伊周は「関白が病を患っている間は“もっぱら”内大臣に委ねると聞いていたのに話が違うムキー」と抗議したことが『小右記』に記されています。どうやら事前に道隆と一条天皇の間に合意形成がなされていて、その結果を伊周も聞いていたようです。これに対して一条天皇は、改めて道隆のもとに頭中将・斉信を遣わして判断を仰ぎます。

三月九日、一条天皇は「関白が病の間、官・外記の文書を内大臣に見せるように」という宣旨を出そうとします。しかしこの宣旨を作成するとき、高階成忠の息子である高階信順(左少弁:官庁の指揮監督を行う)が中原致時(大外記:奏聞作成などに従事)に「関白病間」の「」を除いて「関白病」とするよう指示しますニヤ

「関白病替」となると、「関白の病に替えて内大臣を~」つまり「関白が病なのでそれに替わって」となります。これでは道隆に何かあったときであっても伊周が内覧の地位にとどまることになってしまい、趣旨が異なります。致時は「関白病間」というのは頭弁(弁官トップで蔵人頭も兼ねる)である源俊賢が伝えた一条天皇の言葉であるからと、信順の指示を拒否します真顔

平たく言うと、文書改ざんを阻止したということです。信順は別個で一条天皇に伊周を関白とする詔を出すよう奏上していますが、これも却下されます。

結局伊周に内覧宣旨は下りましたが、道隆が病気の間という期限付きのものということは覆ることはありませんでした。しかしこれを受けて、さっそく中納言の顕光などは伊周の詰め所に慶賀のために訪れます。伊周も斉信を招いて雑談するなどしていますが、中関白家と一条天皇の間を走り回っている斉信にこれがどう映っていたかを考えると、やはり伊周の若さが目立ちます。

 

右矢印(3)ー③に続きますおーっ!