大河ドラマ『光る君へ』”勝手に解説”~第十回(3)ー①対立の表面化 | 愛しさのつれづれで。〜アリスターchのブログ

大河ドラマ『光る君へ』に関して、勝手に、私感含めて書いております。ネタバレは~という方はご注意ください。

読み進む前に「はじめに」をご覧いただければ幸いです。



 

(3)政権移譲の失敗

①対立の表面化

正暦六年二月五日、道隆は一条天皇に対する上表文(意見書)の中で、中宮定子への寵愛と伊周の大臣就任を感謝しています。

二月二十二日、道隆は「長徳」と年号を改めることを決めます。しかし新元号については道兼から”長毒”に繋がると批判を受けるなど、公卿層の目目は相変わらず厳しいものでした。日に日に病が重くなった道隆は、ついに二十六日に辞表と天皇親政を促す上表文を奉ります。この年の二月三日には詮子と定子の宮人が乱闘騒ぎを、二十八日には詮子の石山寺詣の途中で伊周が都へ引き返し、その帰路で道長との間に諍いがあったと『小右記』に記されるなど、中関白家と詮子・道兼・道長の対立は誰の目にも明らかとなっていました。


同じ時期とされる『枕草子』では、清少納言と彼女の別れた夫の橘則光の仲が今でも良いこと、斉信といい感じになっているハート清少納言について語り合う一条天皇と定子の姿が描かれています。また、殿上人から花が散った梅の枝を差し出され「これはどうですか」と問われた清少納言が「はやく落ちにけり」と返したことを一条天皇に褒められたことも記されています。これは紀長谷雄の詩に「大庾嶺(だいゆうれい、中国にある梅の名所)の梅は早く落ちる」という一文があるのを念頭に置いたやり取りで、それを一条天皇はちゃんと理解して清少納言を評価しているのです。相変わらず定子のサロンは雅な空気に満ちているブーケ2のですが、中関白家を取り巻く不穏な空気と、着実に成長している一条天皇の姿に、この場所にもやがて変化があることを予感させるかのようです。

 

右矢印(3)ー②に続きますニコ