大河ドラマ『光る君へ』“勝手に解説”~第十回(1)-③疫病への対応 | 愛しさのつれづれで。〜アリスターchのブログ

大河ドラマ『光る君へ』に関して、勝手に、私感含めて書いております。ネタバレは~という方はご注意ください。

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③疫病への対応

疫病に対して道隆の政権が行ったことは、臨時の仁王会(仁王経を声を出して読むこと)寺社への奉幣、各教典の読経、大赦などでした。医療技術予防接種が発達していなかったことに加え、怨霊オバケなどに対する恐怖に重きが置かれた時代ではこれが精いっぱいだったのかもしれません。(古代日本では、口や鼻を覆うために扇が必要になったと言われています)

正暦五年(994年)八月二十八日、道兼が右大臣、伊周が内大臣、道頼が権大納言に任じられます。これは一種の政権強化策ですが、以前から伊周の異例の昇進に疑問を抱いていた公卿たちにとって、21歳での伊周の大臣就任は許しがたいものがありました。しかし相変わらず道隆はそんな雰囲気を気にも留めません。寛和の変前まで長く非参議で実務畑ではなかった道隆には、晩年の兼家が行ったように息子たちや家族を昇進させることで地盤を固める以外に策がなかったのではないか、というのが多くの研究者の見解です。

 

右矢印(2)ー①に続きますキョロキョロ