大河ドラマ『光る君へ』“勝手に解説”~第十回(1)-①積善寺供養と放火 | 愛しさのつれづれで。〜アリスターchのブログ

大河ドラマ『光る君へ』に関して、勝手に、私感含めて書いております。ネタバレは~という方はご注意ください。

読み進む前に「はじめに」をご覧いただければ幸いです。

 

 

 

 

 

 

第十回 政変への予兆 

 

 

(1)道隆政権の限界

①積善寺供養と放火

正暦五年(994年)二月二十一日、関白道隆は積善寺供養を行うことになりました。二条京極第は兼家の邸宅でしたが、法興院として寺院に改められ、道隆はその境内に積善寺を建立します。これを祝って一切経を書写して奉納する法会(供養)を開催することになったのです。二月のはじめから詮子や定子、諸親王や大臣・公卿らも参列してにぎやかに行われ、その様子が『枕草子』にも「関白殿、二月二十一日に、法興院の」で描かれています。

しかしこの法会の最中である二月十日に内裏の後涼殿が放火されてしまいます炎

後涼殿は清涼殿の西にあり、渡殿(二つの建物をつなぐ、屋根のある渡り廊下)で清涼殿と飛香舎に繋がっています。つまり一条天皇らが過ごす場に直接危険が及ぶことを意味していますガーンさらに十七日には弘徽殿、飛香舎(藤壺)と再び内裏内部で火の手が上がり、道隆政権に対する反発が起こしたものと捉えられてもおかしくはなかったのです。

 

右矢印(1)ー②に続きますニコニコ