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サラリーマン社長のムービートラベル

2015年の映画やからもう10年前です。今回この作品の続編が近日中に公開されることになり、いわゆるリバイバル上映と知らずに見に行きました。こんな作品知らんかった。優秀なのに頑固で上司に逆らう、当然出世はできない、人一倍の正義感、ボロは着てても心は錦...を地で行くベテラン刑事とまさに真逆、親の七光りでマジでむかつくおぼっちゃま、気に入らなけりゃ癇癪起こす、自分に逆らう奴は殺しも辞さない、私は世界の中心、地球はの中心は私、この世は私のためにある、皆ひれ伏しなさいのバカ御曹司、勧善懲悪の刑事ドラマ。韓国の人も好きやねぇ。時は前年に大韓航空のお嬢様が飛行機の中でナッツの出し方が悪かったとか何とかで、飛行機を引き返させた、いわゆる「ナッツ姫事件騒動」なんかで大財閥の2世、3世の悪態が韓国世論を賑わせていた時代。このタイムリーな企画に韓国映画観客動員数歴代5位と言う記録を打ち立てました。「溺れる犬は棒で殴れ」と言うこの国のことわざ通り(あれっ?これ中國やったっけ?)。寄ってたかっての金持ちたちへの総攻撃、貧乏人のカタルシス!貧乏人=善、金持ち=悪の何とも気持ちのええ、勧善懲悪映画です。

ソ・ドチョ感は広域捜査隊のベテラン刑事。悪は絶対許さない、正義感の人一倍強い刑事だが、頑固で自らの信念のためなら平気で上司に逆らう。当然の如く、出世はできない。幼い子供と妻そして家のローン抱えているが決して道を外さない。彼の所属する班は口やかましいがいつも彼を庇ってくれる班長のオ・ダルスを筆頭に個性豊かなメンバーがそろっていた。ドチョルたちは長年追っていたヤマを解決し、息抜きのためあるパーティに参加。そこで大企業、シンジン財閥の御曹司チョ・テオと出会う。端正な顔立ちと裏腹に性格は傲慢で冷酷、パーティでは若い女性に悪態をつき傍若無人に振る舞う。そんなテオの側ではいつもチェ常務が寄り添い、テオを守っている。彼の振る舞いをただ見守るだけのドチョルであったがたった一言、「犯罪だけは犯すなよ」とテオに忠告する。この時、ドチョルはテオに犯罪の匂いを嗅ぎとっていた。

ある日、労働争議のリーダーである運転手が自分の息子の前で、テオの部下に暴行を受けた上、自殺を図ると言う事件が起きた。何とか命を取り留めたものの、所轄は額面通りの捜査しかしない。賄賂で丸め込まれていることを悟ったドチョルは広域捜査班と共に独自の捜査を開始した。当然の如く上層部から捜査への圧力がかかる。そしてドチョルの家族にまで買収の魔の手が伸びるがドチョルたちは運転手は自殺したのではなく殺人未遂である証拠をつかむ。敵は若き暴走王子チョ・テオとそのバックに控える大企業シンジン財閥。果たしてドチョルたちはテオの悪行を暴くことができるのか...。

 

いやあシンプルに面白いですよ。皆が大好きな勧善懲悪の刑事ドラマ。一見の価値あり!10年も経って続編が作られるのなんて珍しい。今回はサディストの御曹司が敵役だったけど、次回は...??? 

しかし、ナッツ姫なんてなんともしょうもない仇名を付けたもの。まあ寄ってたかってと言う感はあるものの、こればっかりはしゃあないかな、気に入らんから言うだけで飛行機を引き換えさせると言う、常人では考えられへん事をしてるんやから。金持ち、セレブ、権力者の御曹司だの御令嬢だのと言うのは注目度が高いんやから、余計に日頃の言動に気を付けなあかんのやけれど、それがわからんのやなぁ、ホテル王ヒルトンの令嬢しかり、国民の反乱で命を落とすはめになったルーマニアの大統領、チャウシェスクの息子は祖国の至宝、「妖精」ナディア・コマネチを欲しいと言い出した。ジャッキー・チェンの息子は麻薬所持で中国政府に捕まりジャッキーはこの事件以降、すっかり変わってしまいました。麻薬所持は中國じゃほんまは死刑やもんね。まだ生きてる言うことは何かがあったんは間違いない。まぁ日本も偉そうなこと言えん。有名女優のバカ息子は大麻で何度も捕まっているし、元首相のほんまもんのアホ息子は、秘書としてのこのこ親父の外遊に付いて行って、国民の税金でやれ市内観光だ、ショッピングだと遊び惚け、帰ってくりゃあ総理官邸のレッドカーペットでツレと記念撮影...どんなこと言われるか判りそうなもんやが...。そんな時代背景もあり最後はビンボー刑事にバカ息子がボコられると言うスカッと爽やかな結末で映画は大ヒット。10年もたって続編とはなんでかな。さて、その続編の内容はと言うとそれは上映されてからのお楽しみ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

右を見てもトランスジェンダー、左を見てもトランスジェンダー、そんな今日この頃。その先駆者たるアメリカでは昨秋、トランプ政権が誕生。雰囲気としては「ちょいとやり過ぎじゃないん?」と言う雰囲気になりつつはあります。しかしそんな雰囲気とは別にハリウッドでは相変わらずのマイノリティ優先。あんまりこういう雰囲気好きやないんやけど...。そんな中、究極のトランスジェンダー映画が登場。それが「エミリア・ペレス」。男の中の男、究極の男、いや、これは悪い意味でね。男の一番いやな部分、究極の暴力...殺人とドラッグ、それをビジネスとする麻薬カルテルをの大ボスが性転換...うーん、世も末であります。いろんな意味で。

弁護士リタ・モラ・カストロは優秀な弁護士だが犯罪者たちが大金を積んで無罪放免になる現実を見続けてほとほと疲れ果てていた。そんな彼女にメキシコ全土を恐怖に陥れた麻薬王マニタスから依頼が舞い込んだ。それは驚くべき依頼だった。莫大な報酬と引き換えに「女性として新たな人生を歩みたい...。」

生まれた時から劣悪な環境で育ったため冷酷な悪に染まるしかなかったマニタスだが実は幼いころから女性になりたいとの願望を抱き続けてきた。今までの意にそぐわぬ人生を捨て女性として生きる。そんな彼の要望にリタは引き受けることにした。極秘裏にイスラエルで医師を探し、メキシコで手術を受けさせ、妻のジェシーと2人の幼い子供たちにも内密に、公には敵対する麻薬マフィアに殺害されたように見せかけた。こうしてマニタスは「エミリア・ペレス」と名を変え女性として新しい人世を歩むことになったのである。

それから4年後、リタはロンドンで新しい生活を始めていた。ある夜、仕事仲間の会食でリタは一人の女性から声をかけられる。最初は気づかなかったが、その女性こそエミリア・ペレスだった。一瞬、彼女の秘密を知る唯一の人物として「私を殺しに来たの」と青ざめたリタだったが、エミリアの依頼は外国で妻のジェシーと暮らす2人の子供恋しさにメキシコに連れてきてほしいと言うものだった。リタはエミリアをマニタスの従妹と言う設定にし、ジェシーと子供たちをメキシコの豪邸に呼び寄せた。突然現れた「叔母さん」と彼女の異常なまでの子供たちへの愛情にジェシーは訝しんだが、メキシコに戻って来て昔の恋人グスタボに会えると言うことも手伝って共にメキシコで暮らすことになった。同時にエミリアは自らが犯してきた罪への呵責もあり、麻薬戦争で行方不明になった遺体を探し出し遺族のもとへ返すと言う慈善団体を立ち上げ地元の名士になっていく。順風満帆に見えたエミリアの第二の人生だったが、思わぬところに落とし穴が待っていた。

 

一昔前なら、ギャングの大ボスが性転換手術なんてコメディである。こんな事今言っちゃあいけないんよね。ところが時代は変わりました。なかなか良くできた作品でした。これがまたシリアスなドラマになっとるんだ、大真面目に...。トランスジェンダー俳優。男優であったけど女優になったと言うこの俳優カルラ・ソフィア・ガスコン、髭を生やしてか付けてか性転換前のマニタスも彼、いや彼女が演じてます。アカデミー賞ではこの人、主演賞候補になりました。勿論、女優賞の方で(ややこしい)。この人自身、いろんな事で物議を醸しました。この「エミリア・ペレス」本年度のアカデミー賞最多の13部門で候補に挙がり今年の大本命だったにも拘らず、受賞したのはゾーイ・サルダナの助演女優賞と他一部門のみ。そもそもゾーイ・サルダナはなんで助演なわけ?彼女、キャスティングのトップですよ。この作品が2部門しか取れなかった、その原因が主演候補に挙がったカルラ・ソフィア・ガスコンの失言集にあるとされています。SNSで黒人のジョージ・フロイドさん(警官に首根っこ膝で押さえつけられて死んだ人)を批判したり、イスラム教を非難したり、アカデミー賞の「多様性」を揶揄したり、果ては共演のセレーナ・ゴメスを金持ちの何とかと呼んだりとかetc。まあ、芸能マスコミと言うのは古今東西ろくなもんではない。近頃は芸能だけじゃないけどね。色々言われています。でもマスコミの言うことが本当ならマイノリティがマイノリティを誹謗中傷するようになったらそれはもうマイノリティじゃないわな。

けど、映画自体は非常に良かった。一見すりゃあギャグ(失礼)になりそうなネタをシリアスに扱いラストの非情な結末まで、やっぱりこういう終わり方しかなかったのよね、と言うやるせなさ、絶望感、良く描けていたと思います。先週の「教皇選挙」と同じく一点を除けば...。そう、なんでミュージカル?セレーナ・ゴメスが出てるから?彼女出すなら歌わして、踊らさなきゃ損?彼女、演技だけで充分魅力的でしたよ。ミュージカルにする必然性ある?その辺り大いに不満がありました。こういうシリアスでアクションもありの映画、もっと落ち着いてみたいのよね。うーん、そこが残念。自分としてはね。

 

 

「教皇選挙」この邦題のセンスのなさ。「選挙」って言うのはどうしても政治性が強くなる。「コンクラーベ」でいいと思います。この言葉かなり浸透してきてますよ。教皇...ようするに最大宗派キリスト教のトップの選出です。日本のジャリタレ集めて「〇〇〇総選挙」なんてのが一時期はやりましたが、そんなのに乗っかったかどうかは知れませんがもったいないですわ、非常によう出来た作品だけにね。最後のオチは別やけど。このコンクラーベを取り仕切り、出るわ出るわの不正にスキャンダル、頭を悩ます首席枢機卿にレイフ・ファインズ、候補にスタンリー・トゥチ、ジョン・リスゴーとハリウッドを支える曲者俳優たちが揃い、加えて大きなキーポイントとなる修道女の責任者にイザベラ・ロッセリーニ、言わずと知れた大女優イングリット・バーグマンの娘、母の血は争えず綺麗な人やったんやけどねぇ、彼女ももう73ですか、女性に年齢の話は失礼ですがレジェンドの二世がこの年だと聞くと時代は回る、でも映画は残る...いやぁ深いねぇ。

ローマ教皇が急逝した。それに伴いイギリスの首席枢機卿トマス・ローレンスがバチカンに到着。悲しむ間もなく、新たな教皇を決定するコンクラーベを取り仕切ると言う重責を担うこととなる。ローレンスに野心はなく長年の親友であるアメリカのリベラル派、ベリーニを推すつもりでいた。他の有力者には保守派であるカナダのトランブレ枢機卿、それよりも尚、強硬派でありイスラムとの宗教戦争だと訴えるイタリアのテデスコ枢機卿らがいた。続々とバチカンへ終結する枢機卿たち100名余の中に生前の教皇より最後に枢機卿に認定されたベニテス枢機卿の姿もあった。彼はメキシコ出身で戦乱の渦巻くアフガニスタンからやってきた。そしてローレンスを非常に尊敬していると言う。いろんな波乱を含みながらコンクラーベが始まる。コンクラーベの期間中は外部との接触は一切禁じられ、枢機卿たちの議場となるシスティーナ礼拝堂は議事の最中は監禁状態となり、宿泊施設となる「聖マルタの家」との往来だけが唯一の外出機械。「聖マルタの家」を取り仕切るのは運営の責任者であるシスター・アグネスである。

第一日目、大方の予想に反してトップに躍り出たのはナイジェリアのアデイエミ枢機卿だった。必要投票数には達してなかったが意外な展開だった。そしてローレンスにも少なからず票が入っていた。最有力だったベリーニは3位。ベリーニはローレンスに不信感を持ち、教皇の座を狙っているのではと詰め寄る。ローレンスに入れたのはベニデスとその周辺であることは明らかだった。第二日目、やはりトップはアデイエミ。今回も必要投票数に達しなかったもののアフリカ系初の教皇誕生か、と言う雰囲気が流れ始めたが、思わぬ事が発覚する。30年前に犯した性的スキャンダルが明るみに出たのである。これによってアデイエミは脱落。ローレンスは側近に候補者たちの身辺を探らせるのだが、皆それぞれに疑惑を抱えている。次の投票ではトランブレが最多得票数を取る。だが、彼がアデイエミのスキャンダルを流したことがわかり、シスター・アグネスにより彼の不正が告発される。コンクラーベは混迷を極め思わぬ結末を迎えることになるのだが...。

 

まあ、観ていると政治家の選挙より生々しい。こちらの世界にも保守、リベラル、多宗派(特にイスラム教)との一戦をも交えようとする強硬派、共に認めあおうとする穏健派が存在し、やっぱりあるんかなぁ、陰謀、画策、不正等。

しかしこれを観て清廉潔白で神の僕と自負するバチカンは何も言わんのでしょうか?アカデミー賞の候補にも挙がったこの作品。お坊様たちは知らんとは思わんのだが...それはそれで作品自体は非常にスリリングでまさに「密室」での出来事として描かれるサスペンス作品となっています。調べてみると「コンクラーベ」と言うのはラテン語で「監禁」とか「密室」とかって意味があるらしい。まさに「言いえて妙」であります。

レイフ・ファインズ演じる主席枢機卿の役どころは「神聖なるシャーロック・ホームズ」と言ったところ。けど神に対してと言うよりバチカンに対して信仰が揺らいでいてやや不安定なところがある。全部を肯定しきれない。そこがなんかいいですね。お坊様たちの中にも多宗派も認めるべき、いや奴らは悪魔だ、戦争だと、坊様のくせに宣うものもいる。実に生々しい。まあ、いろんな情報から紐解くと神父様や牧師様、枢機卿ともなるといろんなしがらみも出てくるし、欲も出てくる(煩悩ってやつね)。前に観たエクソシスト系の作品でも、エクソシストを認める教皇、認めない教皇もいたとのこと。神様に使える人は大変です。非常にシンプルに楽しめた映画ですが、ラストの「オチ」、ええっ~、そこに持っていく?何々、結局ここでもこの話なのと言うような結末。

これからご覧になる人もいるやろうからこれ以上は言わんけど、あっちもトランスジェンダー、こっちもトランスジェンダーもうええやろうって感じです。けど映画としては出演してるのが芸達者ばっかやし、非常にできた作品だと思います。