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サラリーマン社長のムービートラベル

右を見てもトランスジェンダー、左を見てもトランスジェンダー、そんな今日この頃。その先駆者たるアメリカでは昨秋、トランプ政権が誕生。雰囲気としては「ちょいとやり過ぎじゃないん?」と言う雰囲気になりつつはあります。しかしそんな雰囲気とは別にハリウッドでは相変わらずのマイノリティ優先。あんまりこういう雰囲気好きやないんやけど...。そんな中、究極のトランスジェンダー映画が登場。それが「エミリア・ペレス」。男の中の男、究極の男、いや、これは悪い意味でね。男の一番いやな部分、究極の暴力...殺人とドラッグ、それをビジネスとする麻薬カルテルをの大ボスが性転換...うーん、世も末であります。いろんな意味で。

弁護士リタ・モラ・カストロは優秀な弁護士だが犯罪者たちが大金を積んで無罪放免になる現実を見続けてほとほと疲れ果てていた。そんな彼女にメキシコ全土を恐怖に陥れた麻薬王マニタスから依頼が舞い込んだ。それは驚くべき依頼だった。莫大な報酬と引き換えに「女性として新たな人生を歩みたい...。」

生まれた時から劣悪な環境で育ったため冷酷な悪に染まるしかなかったマニタスだが実は幼いころから女性になりたいとの願望を抱き続けてきた。今までの意にそぐわぬ人生を捨て女性として生きる。そんな彼の要望にリタは引き受けることにした。極秘裏にイスラエルで医師を探し、メキシコで手術を受けさせ、妻のジェシーと2人の幼い子供たちにも内密に、公には敵対する麻薬マフィアに殺害されたように見せかけた。こうしてマニタスは「エミリア・ペレス」と名を変え女性として新しい人世を歩むことになったのである。

それから4年後、リタはロンドンで新しい生活を始めていた。ある夜、仕事仲間の会食でリタは一人の女性から声をかけられる。最初は気づかなかったが、その女性こそエミリア・ペレスだった。一瞬、彼女の秘密を知る唯一の人物として「私を殺しに来たの」と青ざめたリタだったが、エミリアの依頼は外国で妻のジェシーと暮らす2人の子供恋しさにメキシコに連れてきてほしいと言うものだった。リタはエミリアをマニタスの従妹と言う設定にし、ジェシーと子供たちをメキシコの豪邸に呼び寄せた。突然現れた「叔母さん」と彼女の異常なまでの子供たちへの愛情にジェシーは訝しんだが、メキシコに戻って来て昔の恋人グスタボに会えると言うことも手伝って共にメキシコで暮らすことになった。同時にエミリアは自らが犯してきた罪への呵責もあり、麻薬戦争で行方不明になった遺体を探し出し遺族のもとへ返すと言う慈善団体を立ち上げ地元の名士になっていく。順風満帆に見えたエミリアの第二の人生だったが、思わぬところに落とし穴が待っていた。

 

一昔前なら、ギャングの大ボスが性転換手術なんてコメディである。こんな事今言っちゃあいけないんよね。ところが時代は変わりました。なかなか良くできた作品でした。これがまたシリアスなドラマになっとるんだ、大真面目に...。トランスジェンダー俳優。男優であったけど女優になったと言うこの俳優カルラ・ソフィア・ガスコン、髭を生やしてか付けてか性転換前のマニタスも彼、いや彼女が演じてます。アカデミー賞ではこの人、主演賞候補になりました。勿論、女優賞の方で(ややこしい)。この人自身、いろんな事で物議を醸しました。この「エミリア・ペレス」本年度のアカデミー賞最多の13部門で候補に挙がり今年の大本命だったにも拘らず、受賞したのはゾーイ・サルダナの助演女優賞と他一部門のみ。そもそもゾーイ・サルダナはなんで助演なわけ?彼女、キャスティングのトップですよ。この作品が2部門しか取れなかった、その原因が主演候補に挙がったカルラ・ソフィア・ガスコンの失言集にあるとされています。SNSで黒人のジョージ・フロイドさん(警官に首根っこ膝で押さえつけられて死んだ人)を批判したり、イスラム教を非難したり、アカデミー賞の「多様性」を揶揄したり、果ては共演のセレーナ・ゴメスを金持ちの何とかと呼んだりとかetc。まあ、芸能マスコミと言うのは古今東西ろくなもんではない。近頃は芸能だけじゃないけどね。色々言われています。でもマスコミの言うことが本当ならマイノリティがマイノリティを誹謗中傷するようになったらそれはもうマイノリティじゃないわな。

けど、映画自体は非常に良かった。一見すりゃあギャグ(失礼)になりそうなネタをシリアスに扱いラストの非情な結末まで、やっぱりこういう終わり方しかなかったのよね、と言うやるせなさ、絶望感、良く描けていたと思います。先週の「教皇選挙」と同じく一点を除けば...。そう、なんでミュージカル?セレーナ・ゴメスが出てるから?彼女出すなら歌わして、踊らさなきゃ損?彼女、演技だけで充分魅力的でしたよ。ミュージカルにする必然性ある?その辺り大いに不満がありました。こういうシリアスでアクションもありの映画、もっと落ち着いてみたいのよね。うーん、そこが残念。自分としてはね。

 

 

「教皇選挙」この邦題のセンスのなさ。「選挙」って言うのはどうしても政治性が強くなる。「コンクラーベ」でいいと思います。この言葉かなり浸透してきてますよ。教皇...ようするに最大宗派キリスト教のトップの選出です。日本のジャリタレ集めて「〇〇〇総選挙」なんてのが一時期はやりましたが、そんなのに乗っかったかどうかは知れませんがもったいないですわ、非常によう出来た作品だけにね。最後のオチは別やけど。このコンクラーベを取り仕切り、出るわ出るわの不正にスキャンダル、頭を悩ます首席枢機卿にレイフ・ファインズ、候補にスタンリー・トゥチ、ジョン・リスゴーとハリウッドを支える曲者俳優たちが揃い、加えて大きなキーポイントとなる修道女の責任者にイザベラ・ロッセリーニ、言わずと知れた大女優イングリット・バーグマンの娘、母の血は争えず綺麗な人やったんやけどねぇ、彼女ももう73ですか、女性に年齢の話は失礼ですがレジェンドの二世がこの年だと聞くと時代は回る、でも映画は残る...いやぁ深いねぇ。

ローマ教皇が急逝した。それに伴いイギリスの首席枢機卿トマス・ローレンスがバチカンに到着。悲しむ間もなく、新たな教皇を決定するコンクラーベを取り仕切ると言う重責を担うこととなる。ローレンスに野心はなく長年の親友であるアメリカのリベラル派、ベリーニを推すつもりでいた。他の有力者には保守派であるカナダのトランブレ枢機卿、それよりも尚、強硬派でありイスラムとの宗教戦争だと訴えるイタリアのテデスコ枢機卿らがいた。続々とバチカンへ終結する枢機卿たち100名余の中に生前の教皇より最後に枢機卿に認定されたベニテス枢機卿の姿もあった。彼はメキシコ出身で戦乱の渦巻くアフガニスタンからやってきた。そしてローレンスを非常に尊敬していると言う。いろんな波乱を含みながらコンクラーベが始まる。コンクラーベの期間中は外部との接触は一切禁じられ、枢機卿たちの議場となるシスティーナ礼拝堂は議事の最中は監禁状態となり、宿泊施設となる「聖マルタの家」との往来だけが唯一の外出機械。「聖マルタの家」を取り仕切るのは運営の責任者であるシスター・アグネスである。

第一日目、大方の予想に反してトップに躍り出たのはナイジェリアのアデイエミ枢機卿だった。必要投票数には達してなかったが意外な展開だった。そしてローレンスにも少なからず票が入っていた。最有力だったベリーニは3位。ベリーニはローレンスに不信感を持ち、教皇の座を狙っているのではと詰め寄る。ローレンスに入れたのはベニデスとその周辺であることは明らかだった。第二日目、やはりトップはアデイエミ。今回も必要投票数に達しなかったもののアフリカ系初の教皇誕生か、と言う雰囲気が流れ始めたが、思わぬ事が発覚する。30年前に犯した性的スキャンダルが明るみに出たのである。これによってアデイエミは脱落。ローレンスは側近に候補者たちの身辺を探らせるのだが、皆それぞれに疑惑を抱えている。次の投票ではトランブレが最多得票数を取る。だが、彼がアデイエミのスキャンダルを流したことがわかり、シスター・アグネスにより彼の不正が告発される。コンクラーベは混迷を極め思わぬ結末を迎えることになるのだが...。

 

まあ、観ていると政治家の選挙より生々しい。こちらの世界にも保守、リベラル、多宗派(特にイスラム教)との一戦をも交えようとする強硬派、共に認めあおうとする穏健派が存在し、やっぱりあるんかなぁ、陰謀、画策、不正等。

しかしこれを観て清廉潔白で神の僕と自負するバチカンは何も言わんのでしょうか?アカデミー賞の候補にも挙がったこの作品。お坊様たちは知らんとは思わんのだが...それはそれで作品自体は非常にスリリングでまさに「密室」での出来事として描かれるサスペンス作品となっています。調べてみると「コンクラーベ」と言うのはラテン語で「監禁」とか「密室」とかって意味があるらしい。まさに「言いえて妙」であります。

レイフ・ファインズ演じる主席枢機卿の役どころは「神聖なるシャーロック・ホームズ」と言ったところ。けど神に対してと言うよりバチカンに対して信仰が揺らいでいてやや不安定なところがある。全部を肯定しきれない。そこがなんかいいですね。お坊様たちの中にも多宗派も認めるべき、いや奴らは悪魔だ、戦争だと、坊様のくせに宣うものもいる。実に生々しい。まあ、いろんな情報から紐解くと神父様や牧師様、枢機卿ともなるといろんなしがらみも出てくるし、欲も出てくる(煩悩ってやつね)。前に観たエクソシスト系の作品でも、エクソシストを認める教皇、認めない教皇もいたとのこと。神様に使える人は大変です。非常にシンプルに楽しめた映画ですが、ラストの「オチ」、ええっ~、そこに持っていく?何々、結局ここでもこの話なのと言うような結末。

これからご覧になる人もいるやろうからこれ以上は言わんけど、あっちもトランスジェンダー、こっちもトランスジェンダーもうええやろうって感じです。けど映画としては出演してるのが芸達者ばっかやし、非常にできた作品だと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何とも言えん、映画です。なんか子供時代を思い出して、「ああ、よくよく考えれば子供時代は皆、残酷やったなぁ」と回想してしまうような作品です。題名「Playground/校庭」。そう、カメラは学校の外にはでません。しかもカメラは最後まで子供目線で。大人の顔は子供に目線に屈まないと映らない。最初から最後まで物語の中心、少女ノラの目となり学校の中で起こる出来事を追っていきます。切ないと言うより、やっぱり子供って残酷やなぁ。

新学期...7歳の少女ノラは父と3つ上の兄とともに不安な面持ちで初めて学校へ登校した。「親御さんは校内には入れません」。学校職員に父との手を振りほどかれ教室へ。泣きじゃくるノラに兄のアベルはやさしく、「大丈夫だ。すぐに友達ができるよ。昼休みに会おう」そう言って別れた。人見知りなノラはこれからの学校生活が不安でしょうがなかった。昼休みになった。ノラは兄に近づこうとしたが、アベルは「来るな!」と突き放された。「何だ、こいつ。お前の女か?」大柄な少年のアントンら数人に虐められているらしい。ノラの学校初日は散々な一日だった。

平均台や水泳など苦手なノラには体育の時間は最悪だった。それでも数人の女の子の友達が出来た。ランチの時間はふざけ合って楽しい時間も過ごせた。そして担任のアニエス先生は大人たちの中ではノラの唯一の理解者だった。アベルがいじめられていることを言うとちゃんとアントン達を叱りもしてくれた。だが、アベルに対するアントン達の虐めはますますエスカレートしていく。便器の水に頭を突っ込まれ、校庭のごみ箱に放り込まれ、生傷も絶えないようになってきた。心配したノラが「大丈夫?」と近寄ろうとすると、「来るな、絶対に誰にも言うな!」と言う。迎えに来た父が「どうした?その傷は」と尋ねると「サッカーだよ、ゴールを二つ決めた。」と噓をつく兄の心が、ノラには全く理解できなかった。

ある日、ノラは我慢しきれずに父に兄が虐められていることを告げてしまう。校門で父がアントン達に「二度と息子に近づくな!」とどやし付けるがアベルはノラに「どうだ、満足か?今度やったら殺すぞ」と毒づく。優しかった兄がだんだんと荒んでいくのを見てノラの心は傷ついた。だがアントン達の虐めが止まず、とうとう双方の親が呼び出され校長が介入することになった。そして今度は兄のことでノラが友達にからかわれるようになり、いつも校門にいる休職中の父のことにも触れられるようになった。大好きだったアニエス先生も学校を退職することになり、また一人ぼっちになってしまったノラはその不満をアベルにぶつけるようになる。そしてノラはある日、アベルが他の男の子を虐めている場面に出くわしてしまう...。

 

上映時間72分。ドキュメンタリーかと思うような短い作品。これなぁ、だれでも通って来た道なんやなぁ。それをこの監督さん、女性の監督さんやけど淡々とカメラを回しています。人間、本質は陰湿なんです。無抵抗の者を虐げることに喜びや快感を覚えてしまう。どうしようもない生き物。ほら、よくあったでしょ、虫の頭をちょん切ったり、爆竹に青虫を乗せたり、レンズで蟻を燃やしたり...。えっ?酷すぎる?けど、大人へと成長する段階で、何処かでこれは駄目なことなんやと気づくんやけど。たまにそれに気づけずに大人になってしまう奴がおる。とんでもない犯罪犯したりね、まあ政治家にもおるけどな。まあ、それをこんだけ淡々と描かれたらスプラッターホラー並にえげつないもんになってしまうと言う事。たまらんね。こういうもん観せられると。ラストの妹が兄に抱き着くシーンだけが救いかな。