どんな名匠でもアウトな作品はあります。個人的感想ですが、かの日本映画界の大監督黒澤明の白黒時代もしくは「デルスウザーラ」あたりまではむっちゃくちゃ面白い娯楽作だと思うし、名作だと思います。しかし、「影武者」「乱」以降は私は買いません。ただ単にダラダラって感じがうーん...。だれが何といっても名作「ディアハンター」、どんなに長くてもよかったぁ~。ロバート・デ・ニーロとクリストファー・ウォーケンがロシアンルーレットで相対する場面。ロシアンルーレットの刺激で廃人同然になってしまったクリストファー・ウォーケンを何とか命を懸けて正気に戻そうとテーブルに付くデ・ニーロ。その結末に泣きましたよ。このシーンを作ったマイケル・チミノ監督に感謝したもんです。この頃、高校生やったなぁ。その後に作った「天国の門」。牧場主と移民の開拓者たちとの争い「ジョンソン郡の戦い」を史実に基づいて描いた大作です。大好きな西部劇やし飛ぶ鳥も落とす勢いのマイケル・チミノ監督作品と言うこともあって期待しましたがなんせ長い!眠い!上映時間3時間39分! (チミノ監督が実際に作ったオリジナルは5時間を超えたそう、これでも編集に編集を重ねて短くしたそうです)結果は映画史に残る赤字をはじき出しました。別に長かったら駄目と言うわけではないんですが...。
今回観た作品「メガロポリス」も御多分に漏れずです。監督は言わずと知れたフランシス・フォード・コッポラ。映画を観ない人でも一度は聞いたことあるんちゃうかな、この名前。「ゴッド・ファーザー」「地獄の黙示録」(賛否両論ありますが私は好き)「ドラキュラ」...。何といっても映画史に燦然と輝く「ゴッドファーザー」やね。
でもそんな方でもです、この作品は頂けない...。
近未来、アメリカ共和国の大都市ニューローマでは富裕層と貧困層の格差が広がり街中でデモ活動が繰り返されていた。財政難と言う大きな問題の解決策としてカジノ建設を進めるフランクリン・キケロ市長と新都市〝メガロポリス
〟開発を進めようとする都市計画局長の若きリーダー、カエサル・カティリナが対立していた。カエサルは新素材メガロンの発明でノーベル賞を受賞、また叔父の大富豪ハミルトン・クラッスス3世の後ろ盾を受け市民の人気を集めていた。またカエサルは密かに時を止めると言う特殊能力を兼ね備えていた。彼の目指すのはすべての人間が平等に暮らせる理想社会だった。
その奔放さでゴシップ記事になりやすいキケロ市長の娘ジュリアはカエサルの理想社会に共鳴し、父との間を取り持とうとカエサルの元で働くことになった。カエサルの恋人でテレビ番組の司会を務める野心家のジャーナリスト、ワオ・プラチナムはクラッスス一族の相続権を目当てにクラッスス3世と結婚。その結婚を祝う盛大なパーティが各界の名士、市民をも交えて巨大なコロッセオで開催された。パーティーがクライマックスを迎えた時、その会場の大スクリーンでカエサルの性的スキャンダルが映し出された。相手が未成年だったと言うことでカエサルは逮捕。だがこれはクラッススの孫、クローディオ・ブルケルが仕組んだフェイク動画。彼はカエサルの人気を妬み、クラッスス3世の正統な後継者としての立場が危うくなるとの危機感からカエサルを罠に陥れたのだった。
ジュリアの懸命の尽力でカエサルの身の潔白が証明され、彼は再びメガロポリスの開発に邁進する。だが今度はファンを装ったクローディオの手下に銃撃され重傷を負う。辛うじて一命はとりとめたものの昏睡状態に。クローディオはワオと結託しクラッスス一族の乗っ取りを企てる。カエサルの描いた理想社会メガロポリスの行く末は...。
なんじゃこりゃ?これが私の第一の感想。猿も木から落ちる、弘法も筆の誤まり、大谷も三振する。コッポラは「アメリカが共和制ローマの再来」と言います。ドラマに出てくる「ニューローマ」って言うのは勿論、ニューヨークのこと。カエサル、カティリナ、キケロ、クラッスス、この役名はいずれも共和制ローマ時代の政治家です。「古代ローマを模倣した現代のニューヨークでローマの物語を描くこと」これが今回のコッポラのテーマだそうです。なるほど、ニューヨークはローマに似ているのか。それはそれで彼の視点で面白いかも知れない。けどそれで出来上がった作品がこれ?ローマを模して超未来的な町の姿、その中で〝コロッセオ〟を模した会場でのカリギュラもびっくりの退廃的な宴が延々と続く。なんなのよこれ、個人的な理由で申し訳ありませんが、絶対キャスティングミスだと思う「スターウォーズ」最新シリーズ3部作にダースベーダーの後釜として登場したカイロ・レン役以後、私はアダム・ドライバーと言う役者が好きになれまへん。この作品の主演もミスキャストだと思います。彼を主役にした作品を何本か観ましたが...うーん、うまいとも思わないしなぁ。
それにコッポラ作品として集まったこの面々。ダスティン・ホフマン、ジョン・ボイド、ローレンス・フィッシュバーン、シャイア・ラブーフ、妹のタリア・シャイアまで...新旧の凄い面々です。さすがコッポラ監督!しかしこんな凄い監督、こんなすごい役者たちを使っても駄作と言うのはできるもんです。不思議ですねぇ、また映画と言うのはつくづく難しいものだと思いました。名匠、鬼才などと呼ばれ始めたら一作や二作、駄作と言われる作品はできるもの。散々腐しましたが、これはあくまで私の個人的な感想です。これをいいと言う人もいるでしょう。そしてどんな作品を作ろうと彼らが映画界に残した功績は消えるものではない。最後にこれだけは付け加えておきたいと思います。