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サラリーマン社長のムービートラベル

「先天性無痛無汗症」と言う難病があるそうです。殴られても、傷付けられても「傷み」を感じないんだそう。この難病を抱えた男が繰り広げるブラックユーモアを交えたコメディ作品です。この無痛男を演じる主演がジャック・クエイドと言ってデニス・クエイドとメグ・ライアンの息子です。片や敵役をやったレイ・ニコルソンと言うのが名前からもわかるようにあの名優ジャック・ニコルソンの息子と言うまさにサラブレットの共演と言う図式。作品自体は「低予算やなぁ」と言うような雰囲気の地味なコメディ作品ではありますが、手軽になかなか楽しめる作品でした。今のこの時代、何をするにしてもなかなかにややこしい。まあ「難病」をネタに笑いをとるわけですから、それで苦しんでいる方々に対する人々へのリスペクトも忘れていません。字幕にきっちりとその辺のことも伝えております。

さて、物語は銀行に勤める普通のごくごく平凡な気弱な青年。彼の努める銀行に強盗が入り恋人が連れ去られます。普段は臆病で争いごととは無縁な彼が、ここは一念発起。体を張ると言うこととは無縁な彼の唯一の武器は「先天性無痛無汗症」と言う痛みを感じないその体。とぼけた笑いとブラックユーモアが展開。ちょっとエグいシーンもあると言うことでR15指定です。

サンディエゴの地方銀行で副支配人を勤めるネイト・カインは平凡な気弱で優しい青年。仕事場でだれとも付き合うこともなく、友達と言えば顔も知らないネットゲーム仲間のロスコーぐらい。そんなネイトだが唯一、他人にはないものがあった。それは彼が抱える難病「先天性無痛無汗症」。殴られても傷つけられても「傷み」を感じないその体。彼はそのために子供の頃から「ノボカイン(局部用麻酔薬)」と言われていじめられ続けていた。そんなネイトに最近彼女が出来た。相手は同じ銀行に勤めるシェリー。初めて味わう幸福感と高揚感。会社へ行くことにワクワクするなんて思ってもみなかった。

ところが幸せの絶頂にいたその時、二人が務める銀行に三人組の強盗が入る。強盗達は店長を射殺し、大金を奪う。おまけにシェリーを人質に逃走。今まで争いごとを好まず、もめ事を避けて生きてきたネイトだが、決死の覚悟でさらわれたシェリーを助けるべく強盗達を追う。銃器を持ったことはない、格闘技の経験もない、そんな彼の唯一の武器は痛みを感じない体。だがこの事件にはネイトの思いもよらない裏が隠されていた。

 

サラブレットたちが出たB級コメディ映画?痛みを感じない...けど傷つけられれば血は流れるし、火傷をすれば手は膨れ上がるし、骨が折れれば歩けなくなる。わからんなぁ、その感覚。けどそういう方々は確かに存在すると言う事、これが難病指定されていると言う事実。確かにこれをネタにギャグ映画を作れば面白い...けどこの難病に苦しんでいる人がいるのであればそういう人には寄り添わなければならない。作品中に主人公がパイを食べたことがないと言うシーンがあります。なぜかって言うと舌を噛んでしまってもわからない、パイと一緒に食べてしまってもわからない、からだと。これを聞くとなんとなくわかるなぁ。我々からしたら殴り合いになっても痛みを感じなきゃ喧嘩しても有利だと思うし、銃で撃たれたって、ナイフで刺されたってへっちゃらって思うんやけど、やっぱり心臓や頭を打ち抜かれりゃ死ぬわけやし、出血多量になっても死ぬわけです。痛くないのに死ぬ、うーんようわからんなぁ。けどこういう事かなぁ、「先天性無痛無汗症」を抱える人の苦悩って言うのは。

作品自体はなんか低予算っぽい、小作品。きわどいブラックユーモアが散りばめられて笑わせてくれます。けど15未満の人は観れません。手がでっかい紅葉の天婦羅みたいになったり、手のひらにサバイバルナイフが突き刺さったり、足に仕掛けようの矢が突き刺さったり、背中に棘だらけの鉄球が刺さったりと、まあ小学生でも笑ってみれると思うんやけど。昔やったらエロ以外は首が飛んだり、頭に斧が降り下ろされたりとそんな映画でも子供達は観てました。いろいろ気苦労の多い世の中になったもんです。ギャグや、ギャグ、ギャグ...。

 

 

 

 

 

 

どんな名匠でもアウトな作品はあります。個人的感想ですが、かの日本映画界の大監督黒澤明の白黒時代もしくは「デルスウザーラ」あたりまではむっちゃくちゃ面白い娯楽作だと思うし、名作だと思います。しかし、「影武者」「乱」以降は私は買いません。ただ単にダラダラって感じがうーん...。だれが何といっても名作「ディアハンター」、どんなに長くてもよかったぁ~。ロバート・デ・ニーロとクリストファー・ウォーケンがロシアンルーレットで相対する場面。ロシアンルーレットの刺激で廃人同然になってしまったクリストファー・ウォーケンを何とか命を懸けて正気に戻そうとテーブルに付くデ・ニーロ。その結末に泣きましたよ。このシーンを作ったマイケル・チミノ監督に感謝したもんです。この頃、高校生やったなぁ。その後に作った「天国の門」。牧場主と移民の開拓者たちとの争い「ジョンソン郡の戦い」を史実に基づいて描いた大作です。大好きな西部劇やし飛ぶ鳥も落とす勢いのマイケル・チミノ監督作品と言うこともあって期待しましたがなんせ長い!眠い!上映時間3時間39分! (チミノ監督が実際に作ったオリジナルは5時間を超えたそう、これでも編集に編集を重ねて短くしたそうです)結果は映画史に残る赤字をはじき出しました。別に長かったら駄目と言うわけではないんですが...。

今回観た作品「メガロポリス」も御多分に漏れずです。監督は言わずと知れたフランシス・フォード・コッポラ。映画を観ない人でも一度は聞いたことあるんちゃうかな、この名前。「ゴッド・ファーザー」「地獄の黙示録」(賛否両論ありますが私は好き)「ドラキュラ」...。何といっても映画史に燦然と輝く「ゴッドファーザー」やね。

でもそんな方でもです、この作品は頂けない...。

近未来、アメリカ共和国の大都市ニューローマでは富裕層と貧困層の格差が広がり街中でデモ活動が繰り返されていた。財政難と言う大きな問題の解決策としてカジノ建設を進めるフランクリン・キケロ市長と新都市〝メガロポリス

〟開発を進めようとする都市計画局長の若きリーダー、カエサル・カティリナが対立していた。カエサルは新素材メガロンの発明でノーベル賞を受賞、また叔父の大富豪ハミルトン・クラッスス3世の後ろ盾を受け市民の人気を集めていた。またカエサルは密かに時を止めると言う特殊能力を兼ね備えていた。彼の目指すのはすべての人間が平等に暮らせる理想社会だった。

その奔放さでゴシップ記事になりやすいキケロ市長の娘ジュリアはカエサルの理想社会に共鳴し、父との間を取り持とうとカエサルの元で働くことになった。カエサルの恋人でテレビ番組の司会を務める野心家のジャーナリスト、ワオ・プラチナムはクラッスス一族の相続権を目当てにクラッスス3世と結婚。その結婚を祝う盛大なパーティが各界の名士、市民をも交えて巨大なコロッセオで開催された。パーティーがクライマックスを迎えた時、その会場の大スクリーンでカエサルの性的スキャンダルが映し出された。相手が未成年だったと言うことでカエサルは逮捕。だがこれはクラッススの孫、クローディオ・ブルケルが仕組んだフェイク動画。彼はカエサルの人気を妬み、クラッスス3世の正統な後継者としての立場が危うくなるとの危機感からカエサルを罠に陥れたのだった。

ジュリアの懸命の尽力でカエサルの身の潔白が証明され、彼は再びメガロポリスの開発に邁進する。だが今度はファンを装ったクローディオの手下に銃撃され重傷を負う。辛うじて一命はとりとめたものの昏睡状態に。クローディオはワオと結託しクラッスス一族の乗っ取りを企てる。カエサルの描いた理想社会メガロポリスの行く末は...。

 

なんじゃこりゃ?これが私の第一の感想。猿も木から落ちる、弘法も筆の誤まり、大谷も三振する。コッポラは「アメリカが共和制ローマの再来」と言います。ドラマに出てくる「ニューローマ」って言うのは勿論、ニューヨークのこと。カエサル、カティリナ、キケロ、クラッスス、この役名はいずれも共和制ローマ時代の政治家です。「古代ローマを模倣した現代のニューヨークでローマの物語を描くこと」これが今回のコッポラのテーマだそうです。なるほど、ニューヨークはローマに似ているのか。それはそれで彼の視点で面白いかも知れない。けどそれで出来上がった作品がこれ?ローマを模して超未来的な町の姿、その中で〝コロッセオ〟を模した会場でのカリギュラもびっくりの退廃的な宴が延々と続く。なんなのよこれ、個人的な理由で申し訳ありませんが、絶対キャスティングミスだと思う「スターウォーズ」最新シリーズ3部作にダースベーダーの後釜として登場したカイロ・レン役以後、私はアダム・ドライバーと言う役者が好きになれまへん。この作品の主演もミスキャストだと思います。彼を主役にした作品を何本か観ましたが...うーん、うまいとも思わないしなぁ。

それにコッポラ作品として集まったこの面々。ダスティン・ホフマン、ジョン・ボイド、ローレンス・フィッシュバーン、シャイア・ラブーフ、妹のタリア・シャイアまで...新旧の凄い面々です。さすがコッポラ監督!しかしこんな凄い監督、こんなすごい役者たちを使っても駄作と言うのはできるもんです。不思議ですねぇ、また映画と言うのはつくづく難しいものだと思いました。名匠、鬼才などと呼ばれ始めたら一作や二作、駄作と言われる作品はできるもの。散々腐しましたが、これはあくまで私の個人的な感想です。これをいいと言う人もいるでしょう。そしてどんな作品を作ろうと彼らが映画界に残した功績は消えるものではない。最後にこれだけは付け加えておきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年2月「ダイヤモンドプリンセス号」。まさにこの時、このキーワードがすべての崩壊の始まりでした。前年2019年12月に中華人民共和国・武漢から発生した「新型コロナウイルス」は瞬く間に世界中を闇の中に陥れてしまいました。恐怖、欺瞞、差別、無知、悲観、猜疑心...。テレビや新聞、ネットで垂れ流される無責任な報道。人々はそれに振り回され、疑心暗鬼が人々の心に生まれました。まさにその始まりだったのが「ダイヤモンドプリンセス号事件」。それを描いたのが本作「フロントライン」。行政にもマスコミにも媚びることなく、ただ目の前の命を救おうとした人々の姿を純粋に描いたのがこの作品。テレビに数多く出てましたね、何とか専門の医師、段々とテレビタレント化する教授、何の知識もないのにテレビで国民の神経を引っ掻き回すバカコメンテーター、そしてただ、ただ世論を煽るだけのマスコミ。このドラマでもその無秩序なマスコミたちの無神経なセリフがありました。

「面白くなってきた」「面白い画が取れそう」「それじゃあ観ている者が喜ばないだろう」

コロナが収まった今でも聞いていて虫唾が走るセリフ。ワイドショー番組じゃこの映画の宣伝はやらんやろな。そんな度量がテレビ局にあるとは思えません。コロナが収まった昨今、テレビ局の悪行が出るわ出るわ...。あんたらね、一局集中で叩いているけれども明日は我が身やで。

2020年2月、乗客乗員3,711名を乗せた豪華客船ダイヤモンドプリンセス号が横浜港に入港する。だが、香港で下船した乗客の中に新型コロナウイルスの感染を確認。船内ではすでに感染拡大により100人を超える乗客が症状を訴えていた。

政府は災害派遣医療チームDMAT(ディーマット)に出動を要請。だが、DMATは災害対応のスペシャリストであってウイルス対策のスペシャリストではない。指揮を執る結城は一度は躊躇ったが引き受けることにした。神奈川県警に本部を置き結城と共に指揮を執ったのは厚労省の立松だった。冷徹そうに見える立松だったが見た目によらず上層部に嘘をついてでも結城の要望に応えてくれる型破りな役人であった。2人は病床の確保に奔走した。一方、乗船し医療チームのリーダーは結城と旧知の中である仙道。乗船した医師、看護師たちは患者たちの治療に必死で当たる。船内はまさに地獄さながらの様相。医療チームの敵はウイルスだけではない。現場を知りもせず、ただ、ただ、最前線で働く者たちを叩くマスコミ、テレビのコメンテーター、そして外部の無神経な専門医と称する医師の動画配信も現場に混乱をもたらした。医療従事者たちの姿が画面に映し出され家族が職場や学校で差別される。船内のスタッフもまた同じだった。感染してしまった乗客は勿論、客室から出ることを許されず軟禁状態の乗客に対しても先の見えないこの状況に、医療チームと衝突することもしばしばであったが乗客と真摯に向き合う態度もまた、医療従事者と心を一つにしていた。これは見えない敵と戦った医療チームと乗員たちの27日間の真の姿である。

 

登場人物の名前は実在の人物とは名前を変えてあります。現場をかき回した動画配信のあの専門医なんてこの映画じゃほんま悪役やもんね。名前は出されへんわ。「Fukushima 50」のときもそう。佐野史郎と金田明夫のやった役は当時の菅直人首相と枝野幸男官房長官。あの映画は最後まで2人の名前はでてきませんでした。ありゃ当時の政府の徹底批判やもんね、公人やねんから別に出してもいいと思うけど。だれが観てもわかるわ。

この映画では動画配信の医師は私人だから敢えて名前は書きません。しっかし、どこにでもおるんやねぇ自己掲示欲の強い人は。しかし、「Fukushima 50」も本作「フロントライン」も良くできた映画です。権力やマスコミの横暴におもねることなく描いています。自分がこの作品で気に入っている点は「中国・武漢から発生した」とかマスコミが害悪を垂れ流していると言うことを堂々と描いている点。マイクを向けられる結城が「あなたたち、喜んでませんか?」と言うシーンは観ている者とコロナ禍中の多くの人が思ったこと。実際こんなやりとりがあったかどうかはわからんし、マスコミ報道に疑問を感じる記者がいたかどうかなんて怪しいもんやけど、この作品で問題定義してくれたのは確か。しかし今更ながらに医療従事者の方々には感謝と同時に勇気と信念に敬意を表します。

けど今をもってコロナは我々の生活に傷跡を残しています。私は今も引きずっています。借金、失職、別れ...つらい日々をいまだに送っている人も多いと思います。ちょっとは頭を下げんか!習近平!