kazuのブログ -2ページ目

kazuのブログ

サラリーマン社長のムービートラベル

離婚大国アメリカと言われていた1980年代、かつては50%、2組に1組が離婚すると言われていました。1990年代に入ってからはやや減少傾向にあるらしく現在では40%程度だそう。それでも40%。本人たちはともかく子供には大きな負担です。この作品「これって生きてる?」では念願のニューヨーク近郊での生活、2人の子供にも恵まれた1組の夫婦の姿を描きます。何が不満?何が許せない?何に腹が立つ?観てるとなんかあんまりそんなのはなさそう。「もう限界、終わりにしましょう」何気ない妻の一言から始まったこの物語。失意の夫がふと立ち寄ったクラブで誘われるままに舞台に立つことになったスタンダップコメディ。全く思いもしなかった衝撃、なぜか夫はこれにはまり、このスタンダップコメディに新しい生きがいを見つけていきます。ストーリーはコメディ調。年頃で傷つきやすい子供たちのはずが慣れているのか冷めてるんやなぁ。さて夫婦の愛の再生はあるのかどうか。監督は役者としても「アメリカン・スナイパー」や「アリー/スター誕生」(兼監督)でも主演を張るブラッドリー・クーパー。本作でも主人公の友人役で脇役としても作品を支えています。妻役はローラ・ダーン、父ブルース・ダーン同様、個性派のうまい女優さん。地味やけど大都会ニューヨークで繰り広げられるただ、ただ平凡な一つの家族の姿。「ああ、アメリカやなぁ」って言う作品です。

念願のニューヨーク近郊での生活、2人の息子にも恵まれ、愛を育んできたはずの夫婦、アレックスとテス。切り出したのはテスだった。

「もう限界よ、終わりにしましょう」

予測してたようにアレックスが答える。

「僕が出て行くよ、別に部屋を借りよう」

あっさり別居を始めた2人だったが、親友のホームパーティーでは仲良く参加し回りに悟られまいとするのだが...。その帰りに電車の中でテスと別れたアレックスはニューヨークの街をただふらふらと歩いた。ふと立ち寄ったクラブだったが金を持ってない。しかしドアマンに「舞台に立つならただだよ」と言われ店に入った。半ば強引に舞台に立たされることになったが舞台に立つと頭の中は真っ白。だが彼は今迄の結婚生活、そして離婚に至るまでを赤裸々に話すことにした。だが客にこれがウケた。その日からアレックスはなぜか自分の居場所を見つけたような気がし、度々、クラブに通い舞台に立つようになる。一方、元オリンピックの全米バレーボール代表だったテスの方にも2028年度ロサンゼルスオリンピックのコーチの話が舞い込んだ。戸惑いながらも主婦になって以降、初めて自分の内にたぎるようなものを感じるのだった。2人はお互い子供達との時間を大切にしながらもそれぞれの新しい道を歩み始める。ある日、テスがバレーボール関係者との打ち合わせの後、立ち寄ったクラブはなんとアレックスがスタンダップコメディの舞台に立つ店だった。テスはアレックスが自分たちの家族のことをネタに笑いをとるアレックスの姿を目撃してしまう。

 

原題の〝Is this thing on?〟て言うのは直訳すれば「電源はいってる?」って言うような意味やねんけど邦題の「これって生きてる?」って意味は「生きてるか、死んでるか」じゃなくて「私たちの関係ってまだ生きてるの?」って言う意味なんやと思います。まあこの年なってひとりもんの自分が偉そうに言うのはなんなんやけどアメリカ人ってまず自分の幸せなんやね。子供のことはどうでもいいって言うことじゃないんやけど、まず自分が幸せかどうか、生きがいを感じて生きてるのかどうかって考えてるように思うんやけどいかがでしょうか?やっぱり個人主義なんやね、子供は子供の幸せがある、でもまず自分。これが悪いっ言うんじゃないですよ。どうしても子供のことを考えてしまう日本とその点がちゃうんでしょうね。近年では日本でもそう言った傾向が強いです。ところが日本ではそれが悪い方向に出ています。再婚した母親の子供が命を落とすって大概、原因は再婚相手。この間も京都で悲惨なことがありました。アメリカじゃあんまり聞こえてこないんやけどどうなんですかね。日本じゃこの手の痛ましい事件が非常に多い気がします。この物語じゃ子供たちは結構、親は親って言うような感じなんですが。子供たちのために親は犠牲になれって言うわけじゃないけど一番傷つくのは子供達なんですけどね。

まあこの作品の論点はそこじゃなく、夫と妻、父と母の第二章の物語。そこに生きがいを見出せるかどうかこの作品を観てると男と女の関係はいくつになっても奇妙で不可解で得体の知れんもの。パリと並んで大都会ニューヨークでの生活に憧れる人々は世界中にいます。正直言ってその夢を破るようなストーリーなんですがそこがまた、ブラッドリー・クーパーが描く風刺のような気がします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本年度アカデミー賞国際長編映画賞受賞...以前の外国語映画賞です。舞台はノルウェー・オスロ。映画監督の父と舞台女優の娘、演劇の世界に身を置く父娘の愛憎劇。お互いのことを認め合いながらも憎しみ、されど愛がどこかに残っている。「血は水よりも濃し」を地で言った物語。監督のヨアキム・トリアーと主演の娘を演じたレナーテ・レインスヴェはなかなかお目にかかれない北欧ノルウェーを中心に活躍する映画人たちで以前「私は最悪」と言う作品でコンビを組み、カンヌ国際映画祭のグランプリにノミネートされ、女優賞を受賞しました。そして今度は父親役としてとしてハリウッドでも活躍するスウェーデンの名優ステラン・スカルスガルド。「パイレーツ・オブ・カリビアン」のオーランド・ブルーム演じるウィル・ターナーの父親で、化物にされた船乗りの父親って言えば「ああ、あの人っ」って言う人も多いはず。悪役から善玉まで演じる名バイブレイヤーの一人です。そしてこの父娘の微妙な隙間に入ってくるハリウッドの人気女優にエル・ファニング。彼女はつい最近でも「バッド・ランド」でプレデターに絡む強烈なインパクトを残した女優さん。お姉さんのダコタ・ファニング共々、子役の頃からハリウッドの第一線で活躍しています。この北欧のどこか透明感のある静かで穏やかな風景、そして先祖から受け継がれる独特の北欧建築の家と言うアメリカのような騒々しさのない背景が父と娘の心の葛藤を余計に浮き彫りにさせます。

ノルウエー・オスロ国立劇場の舞台で主演女優を張る姉・ノーラ、そして家庭を選び夫と息子と共に穏やかに暮らすアグネス。彼女は歴史家としての一面も持っている。二人は幼い頃、著名な映画監督である父、グスタブ・ボルグに母と共に捨てられた過去がある。母が亡くなって数年、母の記念集会の日、父グスタブが突然姿を見せる。お互いぎこちない笑顔で挨拶を交わす父と姉妹。それから数日後、グスタブはノーラを呼び出す。15年ぶりの監督復帰作となる新作映画の主演をノーラに依頼するためだった。だが自分たちを捨てた父をいまだに許すことができなかったノーラは父が手渡した脚本を一読もすることなく突き返し、きっぱりと拒絶する。

それからほどなくして、代役にはグスタブをこよなく尊敬するハリウッドの新進女優レイチェル・ケンプが抜擢されることになった。しかも撮影場所は長年母と共に姉妹が暮らしたこの実家。この家はグスタブの両親の時代からあった。姉妹の祖父はこの家で亡くなり、祖母は大戦の最中、ナチスへの抵抗運動のためこの家から連行され2年もの間収容所生活を強いられた。姉妹はこの家で生まれ、毎日のように続く母への罵倒の声を聴きながら育った。やがて父は出て行きスウェーデンに移住。依頼音信不通となった。映画関係者やグスタブとレイチェルがこの家で過ごす姿を見てノーラの心はかき乱される。

 

主婦でありながら歴史家としての一面を持っている妹のアグネスは、改めて古い記録を読み漁りナチスの拷問や非道の限りの記録を目の当たりをします。そして初めて父が書いた脚本を開きます。姉のノーラに父グスタブが脚本を渡しましたが一度も開かれることなく、ノルウェー語で書かれた脚本をレイチェルのために英語に書き直されます。レイチェルのセリフは「ノルウェー訛りの英語を」です。最初は「憧れの監督と仕事ができる」と希望ばかりが膨らむ彼女でしたが、容姿、立ち居振る舞いはこのように、このシーンはこうとグスタブに演技指導を受けるうちにある疑問が生まれます。「この役は私がやってもいいの...」

そして心に不安を抱えたレイチェルはある日、国立劇場へ赴きノーラを訪ね、彼女と出会ったとき衝撃を受けます。「この役は彼女そのもの...」この時、彼女はグスタブとノーラの父娘の間には自分が入り込める隙間が1ミリもないことに絶望し泣き崩れます。要するに最初は何も感じず、ただ、ただ喜びだけの一念で親子の間にヅカヅカと入って来た彼女。悪気は全くないんです。ところが突然、自分はお邪魔虫とわかってしまうハリウッド女優がなんか哀れを誘うし同情もしたくなります。悪いのはすべてをわかっているはずのこの監督なんやけどね。

一方、初めてノルウェー語の脚本を開いたアグネスはそれをノーラに見せる。泣きながら「これは姉さんよ」

我々観客はグスタブの書いた脚本がどんなものか知りません。断片的に家の中で演技指導するグスタブを見てある家庭を描いたものだと言うことはわかりますが、父を許すことの出来ない娘ノーラの姿。脚本の中に書かれていたのはこの家のそしてこの家族の歴史そのものではなかったんでしょうか?と私は思いますがご覧になった皆さんはどう感じられたんでしょうか?

姉妹、父、そして知らず知らずのうちに家族の中に割って入ろうとした1人の女優。4人ともよかった。ハリウッドの劇薬を味わうことが多い映画ファンにあって、この北欧映画がもたらす1さじの白湯のような作品。作品の冒頭は舞台女優のノーラが開幕の直前、緊張のあまり楽屋に閉じこもったり、音楽が流れているのに姿を隠してしまって中断したりともう周りの裏方に思いっきり迷惑をかけてます。観ているこっちがフラストレーション爆発寸前までいくシーンが延々と続けられます。わがままなんですよね。だから結婚もせず恋愛相手は不倫の男性。家庭には不向きであると言うことがわかります。結局、妹のアグネスよりもよりも父親に似てるわけです。似通った父娘、本人は気づかない。けど二人は演劇界にはなくてはならない存在。観終わった後にはそのことがよくわかりました。冒頭のシーンはラストまでの伏線です。古今東西、エンタメ界ってこんな家族多いんでしょうね。それだけにラストの姉妹の笑顔は救われます。北欧の街並みや自然は少し冷たいけどどこか穏やかな風、アメリカやアジアではなかなか体感することが出来ない作品。刺激がなく家族の心情の変化が淡々と描かれているんやけど穏やかでいい作品でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

凄い!これ、今のところ私の本年度No1やね、オカルト映画やホラー映画って言うのは元来、あまり好まない分野。この物語は一応はフランケンシュタインとその花嫁との激烈なロードムービーなんやけど一括りに怪奇映画、フランケンシュタイン映画として語れない作品です。時は1930年代のシカゴ。100年以上の時を超えてかのモンスター、フランケンシュタインが一人の科学者を訪ねるところから始まります。なんていうんかな、オカルトやホラーでもない、サスペンスやミステリーでもアクション映画としても語れない。そこにあるのは他人の目に映るのは悍ましいかも知れないけど確かに純愛の暴走、まさに形を変えたボニーとクライドのように映りました。監督が女優でもあるマギー・ギレンホール(ちなみに弟のジェイク・ギレンホールも人気ミュージカル俳優の役で出演)。フランケンシュタインを演じたのはなんとクリスチャン・ベイル、そしてフランケンシュタインの花嫁を演じたのは今年のオスカー女優ジェシー・バックリー。彼女の名前、急にあちこちで聞くようになりました。この作品でオスカーを獲ったんかと思ったわ。それくらい彼女の熱演は際立ってました。クリスチャン・ベイルの「怪演」もこの作品を盛り上げたけど、どう観たってこの物語の主演はジェシー・バックリー。〝THE BRIDE〟「花嫁」です。1930年代、ギャングが大手を振って歩き、女性たちがアクセサリーや「物」として扱われていた時代、まだまだ〝Me too〟なんて声を上げることなんてできなかった時代、ギャングの情婦とされた彼女たちの命は安く売買され挙句の果てにズタボロになって捨てられていたような、そんな時代にジェシー・バックリーが演じた「彼女」は死ぬ前もまた「蘇生」された後もまさに当時でははぶっ飛んでいた女性です。監督は現代に通じるそんな女性像を「フランケンシュタインの花嫁」と言う怪奇小説の形を借りて描きたかったんやないでしょうか?

1930年代のシカゴ。著名な科学者ユーフォロニウス博士の元へ一人の巨漢の男性が訪ねてくる。時を遡ること1818年

彼は「誕生」した。その男を創造した博士の名を取り彼はフランケンシュタインと言う。彼はフランクと名乗り、ユーフォロニウス博士に「自分の伴侶」を創ってほしいと懇願する。それは人を愛することへの渇望なのか、欲望なのか、それとも孤独に耐えきれなくなったのか...。誰もが近づくことを躊躇う、その醜悪な姿に憐れみを感じたか、それとも科学的な好奇心からなのか、ユーフォロニウス博士は承諾した。二人が墓場から掘り起こした若い女性は数日前に階段から突き落とされて死んだマフィアの元情婦アイダ。そんなことを知る由もなく、彼女は蘇生された。死ぬ前の記憶は一切消えていた。だが死ぬ前と同様、彼女の性格は奔放で自由、外へ出て気ままに振る舞い踊り狂う彼女の姿にフランクは困惑するが、思いのままに生きる彼女に刺激を受け感化されて行く。だが、二人で酒場へ繰り出した帰り、彼女が二人の男に暴行されようとした時、フランクは怒りを爆発させ男たちを惨殺してしまう。たちまちのうちに二人は警察に追われる羽目に。シカゴからニューヨーク、ナイアガラ...逃避行を続けるそんな破天荒な二人の暴走に世間は喝采した。特に抑圧された女性たちはアイダの姿を真似た。蘇生した時に吐き出し口元にこびり付いた黒い血はタトゥーになり舌は真っ黒に塗りつぶされた。破れたストッキング、引き裂かれた洋服、なにより彼女の暴走が世の女性たちを活性化させた。そんな彼らをジェイク・ワイルズとミルナ・マロイと言う二人の刑事が追った。ジェイクは生前のアイダを知っていた。やがて二人を待ち受けていた結末は...。

 

「異形の者」として忌み嫌われるフランケンシュタインが、それでも紳士の嗜みをもっていたのに対しアイダはまさに「あばずれ」。けど彼女の中ある「生」のエネルギーは紳士を演じていたフランクの心を刺激し、段々と感化されて行く様は凄い。遂には彼もまさに狂乱の如く暴走していきます。特に社交パーティーの会場に潜り込み、二人が紳士淑女たちの前で狂ったように踊り狂い、やがて周りの上級階級の者たちも飲みこまれて行くところは圧巻。アイダが叫び、怒り、感情を爆発させてるシーンはまさにジェシー・バックリーの独壇場。彼女の心の中では生前から原作者のメアリー・シェリーの声が聞こえるんやね。それは物語の冒頭から。それはこのダーティーで最高にいかすヒロインがメアリー自身であると言うことやろね。うーん、しかしインパクトがあまりに強烈やわ。あんなメイキャップまでしたのにフランケンシュタインを演じたあのクリスチャン・ベイルが霞んでまうもんね。お見事です。

叫べ、怒れ、ぶっ壊せ、そんな積もり積った感情を爆発させる作品。ぜひ観てください!オカルト、アクション、恋愛、そんな枠をぶっ壊してとにかく凄いインパクト!表現のしようがない!とにかく、とにかく、ジェシー・バックリーが最高にいい!これにつきます!