やっぱり、お盆のこの季節になると一作や二作こういった作品が上映されます。「雪風YUKIKAZE」は太平洋戦争中、戦時下に於いてどんな激戦地でも必ず生存者を拾い上げ、無事に帰還し「幸運艦」と呼ばれた駆逐艦「雪風」とその乗組員らの物語。艦長寺澤一利に竹野内豊が扮し海上でも武士道を発揮したまさに侍の生き残りのような艦長を演じています。家に残してきた愛する者たちを慈しみ、そして戦場では上官を部下を仲間たちを慈しむ。まあ、こういう作品を観ると自衛隊の前や選挙運動の真っ最中にピーピー、ピーピー喚き散らす左翼運動家たちのバカさ加減が本当にチープだと思ってしまいます。ましてやはかなくも戦場で露と消えて行ってしまった先人たちが眠る靖国神社に参拝することを揶揄するバカ記者、バカコメンテーター、バカ活動家、そして無能な政治家。この国を命を懸けて守ろうとしてくれた先人の方々に頭一つ下げることの出来ない愚かな者たちよ早く消えてくれんかね...。
1942年6月ミッドウェイ海戦。日本は大敗を喫した。沈没する巡洋艦「三隈」から投げ出された兵士たちを引き上げる駆逐艦「雪風」の船上に大声で陣頭指揮を執る先任伍長早瀬の姿があった。最後に引き上げられた二等兵井上を叱咤激励する。「眠るな!死ぬぞ!」
空母、巡洋艦、日本海軍の誇る戦艦が次々と沈みゆく中、雪風はほぼ無傷のまま帰港した。幾多の海戦を潜り抜け、いつも沈没船の乗員たちを救い上げ無事に帰還する雪風を日本国民はいつしか「幸運艦」と呼ばれるようになった。
1943年10月ラバウル港に停泊する雪風に早瀬伍長に助け出された二等兵井上が配属される。そしてもう一人新たに雪風に着任したのは新艦長寺澤一利であった。
真珠湾攻撃の海戦以降、連戦連勝だった日本軍だったがミッドウェイでの敗戦以降、ガダルカナル、マリアナ沖、敗戦を重ね、戦局は厳しさを増すばかりであった。だが必ず雪風は海に投げ出された水兵たちを拾い上げ帰還する。小回りの利く小型艦の特性を生かして魚雷を交わし、スコールの中に身を隠し幾度も死線を乗り越えてきた。それは寺澤艦長の戦術、正確な判断と機転。そして早瀬先任伍長以下、乗員たちの一致団結した結束力が原動力となっていた。しかし、アメリカとの雌雄を決するレイテ沖海戦において雪風を誰よりも知り尽くし、守護神たるべき早瀬先任伍長が戦死。雪風は大きな悲しみに包まれる。
そして、遂にアメリカ軍に上陸された沖縄を救うべく、日本は残った第二艦隊を沖縄へ向かわせるよう第二艦隊司令長官伊藤整一に命令を下す。主な戦艦を幾多の海戦で失い、護衛艦もないその作戦は「天一号作戦」と呼ばれまさに海上特攻であった。その中には日本の総力を結集した戦艦大和と雪風の姿もあった。果たして雪風はこの「十死零生」とされる作戦に再び生き残り帰還することができるのだろうか。
寺澤利一艦長と言うのは実在しません。だけどモデルとされる艦長は歴代雪風艦長の中で何人かおられるそうです。まず1943年から1945年まで雪風の艦長を努められた寺内正道艦長。三角定規で上空の敵戦闘機の位置を図っているのも彼だし、救命ボートに揺られる敵兵に対し機銃掃射を仕掛けた部下を「可哀そうなことをするな」と敬礼をもって見送ったと言うエピソードもこの寺内艦長だそうです。確かに当時の指揮官たちがすべて素晴らしい軍人たちだとは言いません。私事ですが自分の父方の祖父はミャンマーのミッチーナーと言うところで戦死しました。俗にいう「インパール作戦」に駆り出されたのだろうと。うちの親父が亡くなる二年ほど前に聞かされたことですがあんまり言いたくなかったんでしょうね。言いにくそうでした。勿論、当時の軍部の作戦ですから家族に「どの作戦に参加した」なんてことが伝えられることはありませんが、戦地から帰って来た人から「この戦場であった」とか「この船に乗り込んでいた」って聞かされると当時の人はだいたいわかるそうです。こんなこと言っていいのかどうかわかりませんが。この作戦を指揮したのが牟田口廉也中将。当時、日本が占領していたビルマからイギリス領の植民地であったインド・インパールまでを3週間で行軍し中国への補給路だったインパールの北方コヒマを叩くと言うもの。距離にして470キロ、行く手にはビルマ国境にそびえる3000m級の山岳地帯アラカン山脈とチドウィンの大河。これを戦車や武器を担いで道なき道を歩き続け、食料であるはずの牛は川に流され、兵士たちは飢えに苦しみ...。親父は敵の弾に当たって名誉の戦死ならまだいいと。しかし死んだ兵士は殆んどが餓死か疫病、はたまた森の木陰から倒れるのを待っていた豹や空からのハゲタカからの襲撃。話したくなさそうだったのはよくわかります。ほな、止めるもんはおらんかったんかと言えばそうではない、ぎょうさんおったらしい。ところが牟田口の上官が陸軍士官学校の先輩で「なんとか通したってえやあ」そしてそのまた上司が「こいつが言うとんねんから頼むわ」で結局、当時の大本営参謀本部長であった杉山元元帥が「同じ士官学校の仲間やからなぁ」と決まったらしい。日本の悪しき伝統ですな。
こんなろくでもない将校たちがいた半面、日本を守ろうした将校からうちのおじいちゃんのような末端の一兵卒までが靖国に祀られています。今日生きている我々は終戦の日にはそんな方々に手を合わせるのは当然だと思うんですがね。このことについては様々な方がこの時代、動画配信でいろんな意見を発信しておられますが、昨日こんな動画を見かけました。「靖国に参拝する奴は売国奴だ」そしてかの陸軍の天才、石原莞爾(満州事変を起こした人)に対して散々罵ったりと、20~30秒で見るの止めましたわ。「あれは自衛の戦争やない、侵略戦争や」とほざいてましたな。そうそういまだに兵庫県の斎藤知事を罵倒し続けている粘着テープのような「自称」ジャーナリスト。敢えて名前は出しませんがね。私はね、核を持とうが持とまいが、中国になんて負けへんと思うています。旅行社がこんなん言うのなんやけど、日本へ来る観光客見たらわかりますわ。けど日本が敗れるとしたら今の売国政府とこういった性根の腐りきった似非ジャーナリスト、外道の活動家の類たちが蔓延っている日本の内部からでしようなぁ。はよ投獄するなり、海外追放するなり、どうにかせんとあかんと思います。
まあ関係ないことをいろいろ書きましたがこういった作品を観て改めて思うことはこういった方々がいて今の日本があると言う事。最後の物語の締め方は少々ダサかったかなと思いますが、戦後、自衛隊員として活躍する女性隊員の頭には寺澤艦長が戦地から土産で買ってきたヘアクリップが...なんとか日本の防人たちの崇高な意思だけは語り継ぎたいものです。