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サラリーマン社長のムービートラベル

1972年9月ドイツ・ミュンヘン。4年に一度のスポーツ界一大イベント、ミュンヘン・オリンピック。ここでまさに驚天動地の出来事が起こりました。「イスラエル選手団人質殺害事件」。今でこそ厳重な警備の中、行われていますが大戦後27年、平和の息吹が世界中で芽生えながらも中東各地では地域紛争が絶えなかった時代。オリンピック選手村の襲撃なんて誰も予想していなかった...それをやってのけたパレスチナゲリラ。この頃、日本でも赤軍派が暴れまわっていた時代でした。テロだの革命だの、死者8,500万にとも言われている第二次世界大戦で人類は嫌と言うほど戦争の悲惨さを味わったはずなのに、それでも戦うことをやめない人間と言う生き物は憐れみさえ感じます。

そんな中でこの事件は起こりました。「平和の祭典」のはずがテロリストたちに格好のえさ場を与えてしまったのです。この事件はスティーブン・スピルバーグ監督で2006年に公開された「ミュンヘン」と言う作品でも描かれていますがどちらかと言えばこの作品は後日談。同胞を殺されたイスラエルがパレスチナゲリラ達に報復をしていくと言うもの。この作品は事件そのものを描いています。しかも凄いのはカメラはテロ行為を追わない。それどころかオリンピックの中継室の中から全く外に出ない。この事件を中継したのは社会部でも事件部でもない、スポーツ部のクルーたち。カメラは貴重なフィルムを治めました。しかし同時にこの放送を犯人側も観ることになり情報が筒抜けになったとの批判もありました。時代はようやく衛星放送が一般化されてきた時代。今、批判の的になっている「オールドメディア」の走りとも言えるかもしれません。しかしカメラが中継室から出ず、クルーたちの廊下を走る音、ドアを勢いよく開ける音、そしてクルーに扮した役者たちのあの緊張感だけで約90分間の緊迫したドラマを作り上げたこの作品はヒッチコックの「裏窓」を彷彿させます。

1972年9月5日未明。ドイツ・ミュンヘンでは4年に一度のスポーツの祭典、ミュンヘン・オリンピックも中盤に差し掛かり大きな盛り上がりを見せている真っ最中、クルーたちが交代しようとしたその時だった。8人の男たちが選手村に侵入。イスラエル選手団の部屋を占拠。コーチ一人と選手一人が射殺され9名が人質に取られた。一早く「異変」に気づいたのはアメリカのテレビクルーたち、しかもスポーツ専門のクルーたちである。彼らは自分たちの手で事件の記録をカメラに収めることを決意する。犯人グループはPLO(バレスチナ解放機構)の組織「黒い九月」のメンバー。彼らの要求はイスラエルに収監中のバレスチナ人と日本赤軍派のメンバー、そしてドイツに収監中の「ドイツ赤軍」のメンバーの即時釈放。だがイスラエル政府はこれを拒否。おまけにイスラエルの国防軍部隊を派遣することを要請してきた。ドイツ政府はこれを聞き入れられるわけもなく、ミュンヘン警察が対策に当たったのだが慣れない警察は対策が後手後手とまわる。そして事件は最悪の結末を迎えることになる...。

 

この時代はようやく衛星放送が一般化されるようになり世界中の人々がこの生中継を観ることになります。けれどそれは犯人にも情報が筒抜けだと言う事。それにこの事件の対応に当たったのが軍ではなく警察。この時のドイツの法律では軍隊が介入することができなかったとのこと。これはドイツに限らず、今では当然のように各国ともテロ対策部隊ありますがどの国もテロ対策には対応が不十分でした。この事件をきっかけに世界中の国がテロリストたちの対応するためテロ対策部隊の編成を始めたと言います。

この時の釈放要求のメンバーの中にテルアビブ空港銃乱射事件の犯人、日本赤軍派の岡本公三も含まれてたと言います。この時代は日本赤軍の全盛期、世界中で日本が注目されてた時もあったんですよね...悪い意味で。第二次世界大戦では悲劇の民族だったユダヤ人たちが戦後、ユダヤ人国家イスラエルを建国してからだんだんとイスラエルに対して風当たりが強くなってきました。そこに暮らしていたパレスチナ人たちを「追い出した」と言う思いは世界中の人々の中に反イスラエルの機運を高めることになってしまいました。けどイスラエルと言う国は大戦の教訓をいかし決して外圧には負けないと言う不文律があります。国際世論を信じない、自存自衛の戦いを続ける、この確固たる信念。それこそが5度にわたりアラブ周辺国の連合軍との戦いに勝ち続けている所以だと思います。だからへっぼこ首相、外道内閣に苦しめられる我々日本国民からすれば羨ましい限りです。北朝鮮拉致問題なんて絶対ないと思いますよ。サッと取り返しに行ってサッと戻ってくる。平然とやってしまうでしょう。立派な国家スタンスだと思います。

たった丸一日だけの出来事でしたがこの事件は世界中を震撼させ、各国ともテロ対策を講じることとなるきっかけを作った事件でありテロに対する認識を変えた事件でもあります。それにしても放送局の部屋の中だけで醸し出されるこの緊迫感。見事な作品だったと思います。

 

 

 

 

マーベルコミックスも多様化ですか...面白いけど後には何も残らない、数年経てば「ン?どんな内容やったかいな」と言うのがこのシリーズの特徴。スーパーマン、バットマンのDCコミックスやジェリーブラッカイマー制作の作品群もこれに該当。悪いとは言うとらんよ。映画の基本は「娯楽」やねんから、大いに結構、結構毛だらけ、猫はえだらけです。スティーブ・ロジャースのキャプテン・アメリカが引退し、後を引継ぎ「盾」を託されたのはスティーブの親友であり軍人のサム・ウィルソン。スティーブ・ロジャ-スとの大きな違いは彼は「超人血清」を打たない格闘技に優れた普通の人だと言う事。だから彼の能力は科学の推移を結集した「アイアンマン」タイプ。要するに軍で鍛えはしているけど普通の人です。けどねこの作品、アンソニー・マッキーだけだと線が細いと思ったかどうかはともかく、新大統領としてハリソン・フォードが登場。私の知る限り2度目の大統領役。しかも後々、超人ハルクに変身する。エエッ-、あのハンソロ船長が、あのインディ・ジョーンズ博士が?昭和世代のファンなら「やめてほしい」

スティーブ・ロジャースの後を継ぎ、キャプテン・アメリカの座に就いたサム・ウィルソンは新大統領に就任した元将軍のサティアス・ロスと確執があった。ロス大統領はかつてアベンジャーズと数々の確執を持っていたが当選後、サムとその仲間を各国首脳が集まるサミットに呼び寄せた。そしてサミツトが始まる前、サムと対話の場を持つ。大統領が放った言葉は意外なものだった。

「アベンジャーズを再結成したい」

一揆に雪溶けムードかと思ったのもつかの間、サミットで大統領がプレゼン中に襲われる。襲ったのは警備の軍人たち、そしてスティーブが同行させた古い友人のイザイア・ブラッドリーだった。イザイアは軍が大戦中に開発した「超人血清」を打たれ長年歴史の闇に葬られてきた「超人兵士」だった。サムたちの必死の防戦で大統領の命は守られたが「アベンジャーズ再結成」は白紙撤回となりイザイアは逮捕、そして軍事裁判で死刑が宣告され、この件からサムは退けられてしまう。だがイザイアたちは全く何も覚えてないと言う。サムは彼の部下である「2代目ファルコン」ホアキン・トレス中尉と共に独自の調査を開始、映像の分析からイザイアたちが何かの暗示をかけられ催眠術で操られていたことがわかる。折しも世界は今、インド洋に現れた巨大な物体、それが大規模なエネルギー資源であり世界各国が血眼になっている最中だった。サミットでの大混乱はロス大統領にとって大きな痛手である。ロシア、インドばかりか盟友であるはずの日本までが離れていく。資源の争奪戦でインド洋に緊張が走る。

サムたちの捜査である一人の黒幕の人物が浮かび上がる...。まさにインド洋は一触即発の危機、そしてロス大統領の体にも異変が起こり始める。

 

しかしね、近年の映画でタカ派の大統領が出てくると、「これまたトランプがモデルかな」と思ってしまうのは自分だけやろか。ハリソン・フォード演じる大統領が「日本の首相とはツーカーの仲だ」と言うシーンが出てきます。これってトランプ大統領と安部さんちゃいます?挙句の果てにインド洋で資源の奪い合い、アメリカ相手に日米海戦?噓でしょ?これだけ日本の政治家に腹が座って根性があれば嬉しいですが...。

けどね、これアメリカの相手が日本がなら差しさわりがないからでしょ?こんな争奪戦の奪い合いに中国が出てこないのはなんで?いの一番に出てくるのがあの国でしょ。おいおいおいマーベルもついに中国に忖度かぁ?やめてくれよ情けない。やっぱりチャイナマネーの魅力にゃ勝てないか。かつてベトナム戦争前後に登場した反体制派の作品には「俺たちはアナーキスト」とって言うような「心意気」ってもんがありました。なら、それを共産主義者たち相手に見せたらんかい!と憤っているのは俺だけかいな。

かつて、ハリソンフォードが演じた「エアフォースワン」での大統領役はカッコよかった。時がたてば変わるもの。元軍人と言うのも一緒。けどテロリスト相手に戦う大統領が今度は「超人ハルク」?しかも緑じゃなくて赤鬼みたいな...。それにCGで顔もハリソン・フォード。勘弁してほしいわぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「友情」と言うのは男の専売特許や!なんて野暮なことは言いません。けど女性の友情を描いた映画って言われるとなかなか出てきません。シャーリー・マクレーンとアン・バンクロフト共演の「愛と喝采の日々」、スーザン・サランドンとジーナ・デイビス共演の「テルマ&ルイーズ」、ジャクリーン・ビセットとキャンディス・バーゲン共演の「ベストフレンズ」...知れたところじゃこのあたりかなぁ。そうそう、自分がまだ高校生やったと思う。全く対照的な少女二人の出会いと友情を描いた「タイムズ・スクエア」って作品がありました。当時は全く注目されなかった作品やけど、何と言うか少女二人の瑞々しさ、清々しさが際立った作品でした。興味ある方はNetflixとかAmazom Primeとかでどうぞ。

さて今回はそんな女同士の友情と「死を見つめる」と言う女性二人の心の葛藤を描いた作品、「ザ・ルーム・ネクスト・ドア」。主演は当代きっての演技派女優二人、ティルダ・スウィントンとジュリアン・ムーア。やっぱり上手なお二人です。なんかほぼ二人芝居のような気がしました。余命僅かな元従軍記者の女性マーサと売れっ子小説家のイングリット。疎遠になっていた二人でしたがマーサの病気をきっかけに今までの空白を埋めるように二人は病室で語らいます。そしてマーサが言います。「その時」が来るまで二人で過ごしてほしい...。あなたならどうします?俺は絶対無理...。

売れっ子小説家イングリットはかつて同じ職場にいたマーサが末期癌だと知る。イングリットは小説家の道を、マーサは従軍記者として世界の紛争地域を駆け回っていた。親友同士だった二人はお互い別々の道へ向かい、今ではすっかり疎遠になっていた。だがマーサの病を機に二人は病院で、マーサの自宅で語らいあうようになった。

ある日、マーサがイングリットに「『その時』が来るまで二人で過ごしてほしい。」と頼みこむ。マーサは治療を阻み安楽死を望んでた。彼女は苦痛に耐えられなくなった場合のために違法薬物まで購入している。後々、面倒なことになるのは日を見るより明らかだ。だがイングリットは悩んだ末、マーサの依頼を引き受けることにした。二人はマーサが借りた郊外の森の中の一軒家でわずかな日々を過ごすことにした。マーサは上の階の部屋に、イングリットは下の階の部屋に。マーサが言った。

「部屋のドアを開けて寝るけれど、ドアが閉まっていたら私はもうこの世にいないと思って」

こうして二人の短い数日間が始まった。

 

マーサを演じたティルダ・スウィントンはどちらかと言えば高身長で中性的。氷のような悪女もやるしどこかつかみどころのない役の多い、ホンマの曲者女優。方やイングリットを演じたジュリアン・ムーアは典型的な中年美女の叩き上げの演技派女優。二人の表情、セリフの一つ一つがこの作品そのものです。

二人の友情と共に「死」と言うものに対して向き合う二人の女優の姿があります。マーサは目前に迫った「死」に対して自らはどう対処すればよいのかどうやって美しく「それ」を迎え入れることができるのか。このあたりは女性独特の感覚やろなあ。一見、狂気じみてはいるけれど誰よりも冷静です。方や見守るイングリットの方が動揺します。死にゆく友人を目の前にして間違ってドアが閉まっていると気が動転し、嘔吐までする。今まで考えなかった「死」を見つめる、考えると言うのは突然降って涌いてきたような出来事。彼女にとってはマーサよりも酷だったのかもしれません。

まあ、こんなじっくりと女優さんたちの演技を見せるような作品は近年稀になってきました。ともすれば撮影技術に頼り、派手な演出をしがちな映画界。久しぶりに落ち着いて「映画を観れた」ような気がします。