このシリーズ面白いんやけどね、なんかなー映画としてみると安っぽい感がどうしても拭えない。主演の山崎賢人、あーっ荷が重いかなー。大沢たかお、ちょっと気色悪いけど、うーんまあ個性、個性。吉沢亮、どうでもええ。清野菜々、羌瘣(キョウカイ)..いいですよねー、可憐、ストイック。長澤まさみの楊端和(ヨウタンワ)、妖艶で冷徹、バカな男たちは彼女がスクリーンに映るだけで喜びます(ウーン、いいと思うのは女優ばかり)。それぞれのキャラがなかなか立ってはいるのだがどうも学芸会雰囲気が取れないのはなんでかな。
中国史に残る天才軍師・李牧=小栗旬、謎の女将軍・摎(キョウ)=新木優子が登場し、より一層スクリーンは賑やかに、華やかに...。この物語は孤児の少年・信と若き日の秦の始皇帝、嬴政(エンセイ)の成長物語。二人が時代のうねりに翻弄され、理不尽に耐えながら大将軍に、国王にと階段を登っていく、そんな姿が若い読者の心をつかむんやな。そして個性豊かなキャラクター、コミックは読まなくても映画で充分でございます。
今回は秦の最大の敵、趙との一戦「馬陽の戦い」がいよいよクライマックス。秦のカリスマ、王騎将軍の過去が明らかになり中国史に残る天才軍師・李牧登場、そして少年・信の忘れえぬ戦いとなります。「キングダム 大将軍の帰還」はじまりはじまりぃ~。
馬陽の戦い...王騎将軍の元、「飛信隊」の隊長として戦場を駆け回る信はついに趙軍の司令官である馮忌(フウキ)将軍を撃った。だがその夜、大いに沸き立つ飛信隊の野営地に一人の男が現れた。飛信隊の隊員たちをあっという間に血祭りにあげ、信も羌瘣もまるで歯が立たない。彼の名は龐煖(ホウケン)。彼こそが趙軍の総大将であり、王騎将軍とは浅からぬ因縁のある人物だった。龐煖の後を追った趙軍の追撃により隊は散り散りになってしまった。仲間たちに助けられながら信は生き残った飛信隊たちと共に王騎軍本体に合流。いよいよ決戦を迎える。
そんな両軍のありようを遠い岩陰から見下ろしていた謎の男の姿があった。彼の名は李牧。趙において不世出の天才軍師とうたわれた男であった。そして李牧の真の思惑が明らかになっていく。趙が仕掛けたこの大がかりな戦の目的はただ一つ、王騎将軍の命。そして遂に秦軍、趙軍の兵士たちの見守る中、王騎と龐煖の一騎打ちが始まる。
観終わった時にふと思いました。中国人はこの作品を観たらどう思うのか?当然この物語は日本の物語ではありません。紀元前と言う大昔、英雄、猛者が跋扈した中国大陸の春秋戦国時代。この英傑たちに思いをかける方々が多いと思います。「漫画の実写化」ただそれだけでいいなら大成功だと思います。しかし、それではあまりにもったいない。秦の始皇帝の本場、中国の方々にも楽しんで頂きたい。そう思うなら...。
何年か前にメルギブソンがメガホンを取った「パッション」と言うキリストを描いた作品がありました。そしてもう一つ古代マヤ文明を描いた「アポカリプト」言う作品。この時なんと前者は全編ラテン語で、後者はマヤ語で通しました。完全主義者たるメルギブソンの面目躍如といったところ。言語を強いたメルギブソンも凄いが、それに答えた役者たちも凄い!と思います。思えばかの名作「ベンハー」や「スパルタカス」、そしてジョンウェインの「征服者」なんて皆、英語やもんね。ほんまやったら「ベンハー」や「スパルタカス」はラテン語、「征服者」はモンゴル語で映画は作らないとあきません。まあこのシリーズにそこまでせえとは言いませんが。現に他国の言語と言えどもあまたの名作が誕生しているわけですから。けど織田信長や新選組の映画を英語でやったりされたら許せんわなぁ。
うーん、もうちょっと何とか...。しかしこのシリーズを北京語でって考えると凄いんやけど。