ONE LIFE 奇跡が繋いだ6000の命 | kazuのブログ

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名優アンソニーホプキンス...と言えば?言わずもがな返ってくる答えは「ハンニバルレクター博士」。もう当たり役中の当たり役。天才精神科医であり最狂のシリアルキラー、獄中の彼にひとつづつ、ヒントを与えられながら連続殺人犯のサイコパスを追うFBIの若き女性捜査官クラリススターリング。史上稀にみる犯罪者と新米捜査官の微妙な心理と犯罪捜査を描いた「サイコ」と並ぶ20世紀最高のサスペンススリラーと言われる「羊たちの沈黙」は1シーン、1シーンが今でも私の脳裏に残っています。クラリススターリングを演じたジョディフォスターもさることながら、やっぱりハンニバルレクターを演じたアンソニーホプキンス。すっ、凄い...もう恐怖を通り越して魅せられました。

そんな「恐怖」を演じたアンソニーホプキンスがこんな優しい人間を演じられるのか、と言った作品がこれ、「ONE LIFE 奇跡が繋いだ6000の命」。アンソニーホプキンス演じる老人ニコラスウィントンが50年前の自分に思いを馳せます。チェコスロバキアのプラハからイギリス、リバプールへ...彼は2000人もの子供たちをナチスの迫害から守ろうと仲間たちと一緒に脱出させようと計画します。しかし、命を救えたのは669人。「もっと救えたんじゃないか」「もっと何かできたんじゃないか」彼は50年間、救えなかった子供たちに対して悔悟の念に苛まれ続けます。そんな彼に奇跡のような出来事が起こります。

1988年、ニコラスウィントンは仕事を引退し妻のグレーテとともにもうすぐ生まれてくる孫を楽しみに余生を送っていた。だが彼の脳裏には50年前のいまいましい出来事が今でも残っていた。

1938年、第二次世界大戦前夜、ヒトラー率いるナチスドイツはチェコスロバキアにも侵攻を開始していた。首都プラハには何万人もの難民が押し寄せていた。ロンドンで母と暮らすビジネスマンの青年ニコラスウィントンはの友人マーティンブレイクからプラハの難民の話を聞き、居てもたってもいられなくなった。たまらずにプラハに駆け付けた彼の目に飛び込んだ難民たちの姿に衝撃を受ける。不衛生な住まい、粗末な衣服、寒さ、そして食糧不足。飢えにより大人たちを追い掛け回す子供たちの姿...。家族と共いる子供や孤児たちは約2000人。彼はプラハで活動する難民委員会のドリーンやハナ、トレヴァーたちと協力し、子供たちだけでも脱出させイギリスへ疎開させようとした。ニコラスがプラハに行くことに反対していたロンドンの母も移民局に掛け合ってくれた。必要なものは金、里親、そしてビザ。急いでロンドンに戻ったニコラスはマーティンと共に里親探しと資金集めに奔走する。彼がロンドンに戻って2週間後、ようやくの思いで子供たちを乗せたの第一便の列車がプラハを出発する。ニコラスたちはイギリスに着いた子供たちを里親に引き渡す。それを皮切りに順調に子供たちの疎開が始まった。第8便までが到着し669人の子供たちがプラハを脱出。そして第9便、最大の250人を脱出させる計画を立てた。だが出発直前、遂に第二次世界大戦が勃発。プラハの駅にナチス兵やゲシュタポたちがなだれ込む...。

この時からニコラスの心の中で時計は50年間止まったままだった。彼はスクラップの中に今でも子供たちの写真を張り付けている。そんな彼の元にマーティンの紹介でベティマックスウェルと言う歴史家の女性が会いたいと言ってきた。「669人...」ニコラスのスクラップブックを見た彼女は感嘆のため息を漏らす。それから数日後、ニコラスの元にBBCのTV番組「ザッツ・ライフ」への出演依頼が来る。ベティマックスウェルはメディア王の妻だったのである。この番組を「低俗番組」と決めつけていたニコラスだったがベティの紹介と言うこともあって彼は収録に参加することになった。しかしそこでニコラスが見た光景は...。

 

「英国のシンドラー」と言われてたらしいですけど、世界の各地でこの類の話はまだまだあると思います。かの「シンドラーのリスト」だってスピルバークが映画化して世に出すまでは知っている人は少なかったと思うし、日本では何といっても「命のビザ」の杉原千畝さんです。ナチスドイツのユダヤ人迫害に異を唱え、彼らの逃亡や救出に損得を超え「正義」「人道」の名のもとにユダヤ人の命を救った名も知れぬ方はまだまだいると思います。実際、私はニコラスウィントンなんて人は知らんかったんやから。

 

この稿で私は何度か樋口季一郎中将の話を書きました。「ソ連から北海道を守った男」「キスカ島撤退」そしてユダヤ人と大いに関わりのある「オトポール事件」です。オトポール事件とは1938年ナチスドイツの迫害を逃れソ連領を通り当時、日本領だった満州国・ハルビンとの国境にあったオトポール駅での出来事。18名のユダヤ人が当時、日本領だった満州国に入国することができずに立ち往生していました。当時、ドイツと同盟を結んでいた日本軍部はドイツに気遣いユダヤ人を満州に入れようとしなかった。しかしこれを知った当時のハルビン特務機関長だった樋口季一郎は「ただちに国境を開け、温かい毛布と食事を与えよ」。彼はユダヤ人たちを保護し、ユダヤ人たちは満州を経由して当時、アメリカの疎開地だった上海まで逃れました。ユダヤ難民たちはこれを「ヒグチルート」と呼び殺到しました。しかしドイツに気を使った軍部は樋口を呼び出し叱責(この辺は今の政治家も一緒、ヘタレですわ)。だけど樋口は当時、参謀長だった東條英樹の前でこういいます。「閣下、ヒトラーのお先棒を担いで弱い者いじめをすることが正しいことだと思われますか」。当時の日本で権力を握っていたのは軍部です。それを考えれば言うも行ったり!です。しかし東条は樋口を不問にしました。この後、当然のようにドイツのリッペントロップ外相が猛烈に抗議してきました。けどこの時の東條もいいも言ったり!「当然の人道上の配慮。日本はドイツの同盟国であって属国ではない」。ちなみにハルビンで樋口に協力したのが当時の満州鉄道総裁だった松岡洋右。そう後の外務大臣、国際連盟脱退を宣言した張本人です。東条も松岡も後の歴史で日本をアメリカとの戦争に引きずり込んだ大悪人として語られています。我々が習ってきた歴史は何なんやろね?

 

ちなみに「ヒグチルート」で脱出したユダヤ難民は2万人とも言われています。要するにドイツに突っ込まれるのが怖いから途中から数えんようになったそうです。

これだけのことをして樋口中将の名は日本ではほぼ知られてません。自分が言いたかったのは数がどうのって言ってるわけじゃありません。当時の軍部の意向を無視すると言うのは会社の業務命令を無視するのとはわけが違います。命がけです。なのに彼は「正義」と「人道」を貫きます。これは教科書に載るどころか映画一本、テレビ一本作られていません。自国の人間のことを褒めそやすと言うのは日本の国民性に反するのでしょう。けどなんで彼が無名のままで、杉浦千畝さんだけが誉めそやされるのか?答えは簡単、樋口中将は軍人だからです。大戦以降、自虐史観にとらわれた日本では「日本帝国軍人は悪でなければいけない」と言う風潮が蔓延しています。悪人にはしても善人にはしてはいけないと言うことですよね?情けない話です。日本にもこんな人がおるんやで。