福田村事件 | kazuのブログ

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2週続けて日本映画を観たんですけどね...。まあ左右両極端な作品でした。方や迫りくる国難に対してどっぷりと平和に浸ってしまった日本に対して警鐘を鳴らす作品。方や、大正デモクラシーと言うポピュリズムの中、起こった惨劇、いわば日本の暗部、恥部であす。この作品に対しては自分自身も目を背けてはならないと思いながらも描かれていることの一部が本当かどうかとの疑心暗鬼もありますが...。まさにその疑心暗鬼が生んだこの事件を差別、憎悪が生んだものとして描いているわけですが、まあ出演陣が豊原功補、水道橋博士と言った私の考えとは真逆の方々が出演していることにうーん?と考えてしまう次第と思う訳でありますが、まあ正直胸糞が悪くなる作品ではあります。しかし観てよかったかと色々と...疑問はありますがね。

1923年朝鮮に赴任していた元教師の澤田は妻静子を伴って生まれ故郷の千葉県利根川沿いにある福田村に帰ってきた。彼は朝鮮半島に於いて日本軍による朝鮮人の虐殺を目の当たりにし心に深い傷を負っていた。村に着くと幼馴染の田向と長谷川に再会する。田向は親の後を継いで村長に就任しており温かく迎えてくれたが在郷軍人会の会長になった長谷川は軍人風を吹かせ傲慢な男になっていた。

同じころ、沼部新助を親方とする薬の行商人の一団が故郷の香川県讃岐を後にした。彼らは関東方面に薬の行商のために旅立ったのである。時は大正デモクラシーと言う言葉が持てはやされる一方、警察や内務省による在日朝鮮人たちへの弾圧、そして官憲へ右へ倣えの新聞、マスコミらの言論統制により朝鮮人たちは「鮮人」と罵られ差別を受けていた時代だった。

そんな時代背景の中、未曽有の災害が日本を襲う。1923年(大正12年)9月1日関東大震災が発生。多くの人々は家を失い路頭に迷うことになる。そんな中数多くの流言飛語が飛び交う。「鮮人が井戸に毒を投げ込んだ」「鮮人が家屋に火をつけた」「鮮人が略奪した」「鮮人が婦女子を強姦した」。ありもしないデマが飛び交い。疑心暗鬼にとらわれた関東一円の人々は各地で自警団を結成する。自分たちの村を町を守るためのものが各地で暴走を始める。朝鮮人とみれば襲い掛かり殺害した。それだけではない警察や内務省はそのどさくさに紛れて左翼思想、社会主義者たちを駆り立て殺害。そんな時悲劇が起こる...。

ちょうど利根川の渡し場がある福田村に差し掛かった讃岐の薬の行商人の一団が船頭ともめていたところに在郷軍人の一団が取り囲む。「こいつら喋り方がおかしい」「鮮人じゃないのか」。讃岐の方言は関東の者たちにはわからない。警察官が身分を確認するから待てと言うのにもかかわらず、一人の頭に鎌が降り下ろされる...。

 

ドキユメンタリー専門だった森達也監督が初めてとった劇場映画です。だから真実に忠実。特にラスト30分位は警官が止めるのも聞かず、「殺ッてしまう」わけです。

けどどうかなこの人の焦点はどこやったんかな?行商人の一団を「朝鮮人」と間違えて虐殺したところはやはりメインやったんでしょうね。いやと言うほど見せつけられた。けどこれだけのことを起こしておきながら逮捕された村人たちは昭和天皇の即位によりあっさりと恩赦が与えられ釈放される。そこんところは重要なはずなのにテロップであっさりと...。まああんまりこんなこと書いたりするのは良くないかと思うんやけど「とばっちり」を受けた行商人の一団も部落の出なんやね。我々が「道徳」の時間なんかで習った「士農工商穢多非人」の「穢多」に当たるわけです。彼らは身元を隠そうする。そんな差別を受けている彼らでさえ朝鮮人を「鮮人」と蔑む。日本にも差別はありました。かつてはね。アメリカやヨーロッパなんかの黒人差別やアジア人差別ほどではないにしても...。0ではありません。

しかし今、一般のメディアはあまり注目しませんが、大きな問題の一つに移民問題があります。埼玉県川口市のクルド人問題はそれは酷いそうです。我が物顔で川口市で問題を起こすクルド人たちになぜか警察は手を拱いているだけ、捕まえてもすぐ釈放。もう市民の怒りは頂点に達しているそう。そんな時になぜこう言う、「日本人は在日朝鮮人に対して悪いことをしました。」「酷いことをしました」と言う映画を公開するのか?けどこれがまた入ってるんですねぇ。後悔されたのが9月1日だそうですが2か月近くたったいまでも映画館は結構埋まってました。まあ賛同する方ばかりではないとは思うんですが...。不良外国人、特によその国で刃傷沙汰を起こす奴なんて即刻強制送還です。当たり前です。そんな時に在日朝鮮人虐殺、それも間違って同じ日本人を殺したっての映画ですか?なんか作為的なもん感じますねぇ。けどメガホンを取った森達也監督はじめ演者の方たちは違う思いもあったようです。集団心理、人間の心の奥底に潜む闇にスポットを当てたと言う思いもあるようで、SNSの誹謗中傷が蔓延する現代社会に準えている方々もいました。それは自分も同意です。

この作品の冒頭やエンディングには在日朝鮮人が関東大震災後の流言飛語によって6,000人もの在日朝鮮人、またそのどさくさに紛れて官憲の手によって多くの左翼活動家、社会主義者たちが殺されたと言うテロップが映し出され、実際そんなシーンも作品では登場します。飴売りの朝鮮人の女の子が殺されるところは酷いものでした。その瞬間のシーンはないものの理屈がね。正直全くなかったと言うのはないんじゃないかなとは思いますが、6,000人と言う数字は私は懐疑的です。事実、東京の小池都知事も昨年からか今年からか追悼文の送付をやめました。賛否両論がありますがその前にどちら側に有利な結果が出るにせよきっちりとした調査は必要だと思いますよ。なんどもいいますが全くなかったとは思いませんがね。でもそれは昔からある混乱に乗じて略奪、暴行、虐殺なんかの犠牲者は朝鮮人に限らず日本人も含まれていたと思いますがいかがでしょうかね?

この作品は差別される人間の視点、差別する人間の視点ともう一つ公平であるべきはずマスメディアの視点も描かれています。この時代のマスメディアは政府、官憲、内務省よりの記事が横行していました。それを新米の女性新聞記者の視点を通して公平性のある記事が書けないことに抵抗を感じています。この時代のマスメディアは今とは真逆です。特に現在の朝日、毎日は徹底的な政府批判。これは第二次世界大戦以降180度変わります。戦時中は「日本国民総玉砕!」なんて日本国民を煽っていたのは朝日新聞ですからね。今更ながら朝日新聞社で自決された新右翼と呼ばれた野村秋介さんが朝日に対してなんであそこまで怒っていたのかがよくわかります。彼が自決した当初はまだ何もわかっていない若造でしたからね。「うわー、やっぱり右翼は怖い」なんて思ったりもしましたが年をとればとるほど、先が見えてくれば来るほど国を憂う気持ちはよくわかってきます。

この作品では散々朝鮮人たちが迫害を受けてきたことは描かれていますが日本において敗戦後の混沌とした中、在日の朝鮮人や中国人たちが「三国人同盟」なるものを結成し「我々は戦勝国だ」と称し日本国民に対し殺人、略奪

、強姦などの暴動を起こし暴れまわったこともまた事実です。言わせてもらえばね。

 

なにはともあれ片方の思想ばかりに固執することなく、違う思想もあるのだと言うことも知るのはいいことだと思います。良きにつけ悪きにつけ。確かに暗部や恥部に目を背けることは良くないことだと思いますが、それも踏まえつつ先人たちが行ってきた良いことは良いこととしてわが祖国を見つめると言うことは必要だと言うことをこの二週の作品で感じた次第でございます。以上。