ドラキュラ/デメテル号最後の航海 | kazuのブログ

kazuのブログ

サラリーマン社長のムービートラベル

「ドラキュラ」は「フランケンシュタイン」や「狼男」と並んで西洋怪奇映画のスーパースターです。吸血鬼、英語ではバンパイヤとしてトーキー初期からの人気者、最初は1931年に「魔人ドラキュラ」としてベラルゴシが演じました。当然まだモノクロ映画です。1958年に「吸血鬼ドラキュラ」でクリストファーリーが演じ、彼にとってこれが当たり役となってドラキュラ役者としてシリーズ化されました。このあたりは子供の頃テレビで夏になるとよくやっておりましたんで観た覚えがあります。クリストファーリーが血を吸う時、目を真っ赤にしてキバを剥き出す。イヤー、怖かった怖かった。それからドラキュラもの、吸血鬼ものを入れると綺羅星の如く作品が作られましたが、1992年フランシスフォードコッポラがメガホンを取り、作り上げた作品「ドラキュラ」。何といってもこれがブラムストーカーの原作「吸血鬼ドラキュラ」に一番近い。それまでのドラキュラ映画を観てさほど思いませんでしたがこの作品は単に怖がらせるだけの「ホラー映画」「モンスター映画」ではなく、どこか文学的なものを感じました。「怪奇文学」と言うよりもなんかシェイクスピアの悲劇的なものかな...。この作品を映画館で観た後は初めでブラムストーカーの原作を手にしました。映画では中世のヨーロッパにおいてイスラム教の脅威からヨーロッパの国々を守り、聖地エルサレムを奪還しようとしたキリスト教国の軍が立ち上がったとされる、いわゆる「十字軍の遠征」でワラキア(現ルーマニア)の王、ブラドツェペシが敵の策略により妻は自ら命を絶ち、悲しみのあまりキリストと決別するというプロローグから入るわけですが、原作では全くそんなことには触れていません。ブラムストーカーはブラドツェペシが勇猛果敢な王であり狂信的なキリスト信者である彼がその残虐な性格から「串刺公」として恐れられたことを元にドラキュラのモデルにしたと言うことから、コッポラが彼独特の脚色としたことが考えられます。しかし、それを抜きにしてもストーカーの原作は怪奇小説と片付けてしまうにはなんとも「もったいない」と感じました。小説は「ジョナサンハーカーの日誌」「ミナマ―レイの日誌」など日記や手紙から文章が構成されています。前置きが長くなりましたが今日の作品「ドラキュラ/デメテル号最後の航海」は小説の全27章のうち、第7章に登場する。あまり描かれることのなかった「船長の航海日誌」の28日間の出来事を描いた作品です。

19世紀、北海に面したイギリスの田舎町ホイットピーに大型帆船が漂流する。船内は見るも絶えない酷い有様だった。船の名はデメテル号。室内で船長の航海日誌みつかった。だがそこには想像を絶することが書かれていた...。

遡ること4週間前、アパラチア山脈を背にした東欧の港町をデメテル号は出航した。行き先はロンドン。船には依頼人不明の50もの大きな木箱が積み込まれている。だがこの木箱をロンドンまで運ぶと破格のボーナスが貰えると船員たちは大喜びだった。乗員はエリオット船長と船長の右腕ヴォイチェク以下、航海士たち7名と船長の孫であるトビー、そして黒人の医師クレメンスがこの船に乗り込むことになった。出航後、クレメンスは船内の木箱から土が漏れているのに気づいた。彼が中を調べると瀕死の女が見つかった。クレメンスは女性が感染症にかかっていることを知り懸命に輸血の治療を施す。だがその夜から船内で奇妙なことが起こり始める。トビーがかわいがっていた犬と家畜が惨殺され、体には噛みつかれたあとがあった。そして次の夜には船員の一人が姿を消す。船の中に何かがいる...。

女の意識が戻った。彼女の名はアナ。だがアナの口からは信じられない話が出てきた。彼女は故郷の村で山の頂上に住む「魔物」に村人たちから生贄として差し出された。魔物の名は「ドラキュラ」と言う。それでは船内にいるのは...。恐怖の航海は始まったばかりである。

 

船内にいるドラキュラの姿は終始、邪悪なもの。黒ずくめに黒マントのような紳士然とした姿ではありません。さすがにこの大海上での「密室」は怖い。逃げるとこがあらへんもんね。この映画は怖かったですわ。普通子供は最後まで助けるもんやけど、ものの見事にえげつない最期。これは怖い。なんていうかな、今はやりのスピンオフではないけど「吸血鬼ドラキュラ」の恐怖を原作の一部だけを抜き取って作品にする。見事でしたねぇ。一般にはほぼ無名の役者さんばかりやったし、誰がどう殺されるかわからへん。結局、通常のドラキュラ作品ではこの部分はほぼ流すような感じで演出されてイギリスに漂着した船は乗員は全滅していたわけでしょ?まあそこの全滅の恐怖を描くわけやから制作者らはホラー映画を作るにはええとこに目を付けたと思います。原作の一部を描くわけやからこの作品自体にはそう文学性は感じないけどブラムストーカーの「吸血鬼ドラキュラ」はホラーではなく、人の生血を吸わねば生きていけない、日の光の下では生きていけない魔物の悲劇を描いた「文学」であります。しかしああ、怖かった。