スペンサー/ダイアナの決意 | kazuのブログ

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今週は添乗で飛んでしまった休日の映画鑑賞を取り返そうと久しぶりに観た作品がこれ「スペンサー/ダイアナの決意」。ご存じのようにダイアナ元妃は世界中を「ダイアナフィーバー」に巻き込んで1981年に当時のイギリス王室第一継承者であったチャールズ皇太子(現国王チャールズ3世)と結婚。ウイリアムとヘンリーの二人の王子を出産。しかし、その後チャールズ皇太子との関係は冷え込み、1996年に離婚。彼女はエイズ問題をはじめ世界中の紛争地域を駆け回ったりと皇太子との仲が冷め始めた1980年代後半以降から慈善活動やチャリティにのめりこむようになりました。そんな彼女を所謂、「パパラッチ」たちは追い回しダイアナに私生活はなくなりました。そしてあの運命の1997年8月31日フランス、パリにおいて当時の恋人であるエジプトの富豪ドディアルファイドと共に乗り込んだ車はパパラッチの車とカーチェイスの末、パリのアルマ橋の下を通るトンネルの中、中央分離帯の柱に激突。当初はまだ息はあったものの病院へ運ばれましたが36歳の短くも波乱に満ちた生涯を終えました。

この物語はダイアナ元妃が亡くなる5年前の1991年クリスマスイブより3日間、英国王室の恒例行事であったエリザベス女王の私邸サンドリンガムハウスにおいてのロイヤルファミリーの集いでの出来事を描いたものです。

1991年12月24日、一台のコンバーチブルがイギリスの田園地帯を疾走する。車は一軒のドライブインに止まり中から一人の美しい女性が降り立ち、レストランの中に入っ行く。

「ごめんなさい、道に迷ったらしいの」

中にいる人たちの視線は一気に彼女に集まった。

「見て、ダイアナ妃よ」

プリンセス・ダイアナは英国王室の恒例行事であるエリザベス女王の私邸、サンドリンガムハウスで行われる、「ロイヤルファミリーのクリスマスの集い」に参加する途中だった。ダイアナの生家、スペンサー家の旧屋敷が近くにあるにも関わらず、彼女は道に迷ってしまった。王室の食事を担うシェフのダレンが途中まで迎えに来てくれてようやくの思いでたどり着いたものの女王より遅れて到着。私邸の警備を担うグレゴリー少佐に早速窘められる。

ダイアナは精神的に限界に来ていた。夫チャールズ皇太子との仲は冷え切り、皇太子はダイアナとの皇居ケンジントン宮殿には寄り付かず愛人であるカミラ夫人の元へ。ダイアナにとってここでの3日間は苦痛以外の何物でもなかった。ダイアナにとっての心の安らぎはウイリアムとヘンリーの二人の王子の存在。そして彼女の唯一の理解者、世話係のマギーとの会話だけだった。ダイアナの部屋にはヘンリー8世の妻でありながら夫が別の女性を娶りたいがため無実の罪を着せられ断頭台の露と消えた王妃アンブーリンの書籍が何者かによって置かれ、夫からのプレゼントである真珠のネックレスが...だがそれは愛人のカミラ夫人のしていたものと同じものだった。憤るダイアナにマギーは「あなたらしく振舞いなさい」と背中を押すのだった。

だが、クリスマスイブの食事中もダイアナは幻覚に悩まされ吐き気を催し食事を中座、寝室ではアンブーリンの幻影を見る。外に出れば常にパパラッチに追い回され、王室内では伝統やしきたりに縛られ、彼女の言動には常にグレゴリー少佐の目が光っていた。プライベートは一切なく心が休まる間もない。それに夫の叱責が追い打ちをかける。すでに忍耐の限界を超えていた彼女は一つの決断を下す。

 

要するにこの三日間の物語が彼女が王室を去る要因となったということです。本作の冒頭には「この物語は寓話...」と字幕に出ます。監督自身も「ドキュメンタリーは作りたくなかった。」と言うように多分にイマジネーションも盛り込まれています。ラストの退場の仕方はイマジネーションだとしてもあまりにも漫画的だったのが少々がっかりでしたがやっぱりね、ダイアナ妃を演じたクリスティンスチュワートの熱演、好演が光ります。最近の彼女の作品は公開されるたびの好演で光るものがあります。「パニックルーム」でシングルマザーを演じたジョディフォスターの娘役だった中性的な喘息持ちの女の子が、ホント綺麗になったし芝居もうまくなりました。今やハリウッド女優若手牽引者のひとりですね。この作品のダイアナ妃に関してもかなり勉強されたと思います。

物語に登場するタイアナ王妃はまさにボロボロの状態の時をこの三日間で迎えたわけです。この一年後チャールズ皇太子とは離婚が成立し王室を離れることになるわけですが、この物語を見ている限りでは皇室を離れれば「プライベートを取り戻せる」と思ったんでしようが逆により多くのパパラッチに追い回されることになるわけです。王室を離れれば王室は守ってくれませんからね。その結果がご存じの通りです。良きにつけ悪きにつけ彼女は王室のスーパースターです。それを小判鮫のようなパパラッチ、マスコミが放って置くわけがありません。王室の庇護が受けられなければ猶更です。当時のマスコミは相当な非難を浴びましね。ところがその矛先は彼女を「切り捨てた」英国王室にも及びました。先日、エリザベス女王が大往生をされましたが女王にも批判の矛先は向きました。マスコミもなんですが「世論」と言うのも私は信用しません。ダイアナ元妃が亡くなった時は女王にさえあれだけバッシングを浴びせておきながら亡くなれば「世界中の人々から愛された女王」ですか...。なんかね。

ダイアナ元妃は世界中の人々に愛されました。「良きにつけ悪きにつけ」です。しかしそれは好奇心と言う言葉の裏返し。パパラッチが撮る下世話な写真はたちまち広がります。「あの憧れの人がこんな...」そんな話は庶民は大好きです。いわばこれは人間の持って生まれた「業」。そして喜ぶからマスコミが、パパラッチが群がる。これはなくならないんでしょう。物事の本質を伝えるよりも表面だけの甘い汁の部分を垂れ流す。なぜなら民衆が喜ぶからです。売れるからです。

また安部さんの話になりますが。安部さんの銃撃事件に関してだって同様。マスコミの本質を伝えない報道、切り取りだけの報道、表面だけの報道をみて犯人は動く。要するに「最高権力者」が悪い、そして殺害。マスコミの偏見報道、切り取りだけで動く「世論」それは大きな武器となり標的に襲い掛かります。

数年前に添乗でパリへ行った時、何度もあのアルマ橋の下をバスで通りました。今でも花を手向ける人がいるそうです。ダイアナ元妃も安部元首相も、もっともっと世界に貢献できる人だったんです。殺害したのはマスコミであり原因を作ったのは庶民です。それを我々は胸に留めておくべきです。これから、「ああ、あの人が生きていたなら」そういう時が来るでしょう。それではもう遅いのです。改めて合掌。