靴ひものロンド | kazuのブログ

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イタリア映画「靴ひものロンド」。なんのこっちゃ?舞台は1980年代のイタリア、ナポリ。物語の冒頭にパーティーかなんかで夫婦二人がほかの人たちと一緒に輪になって「ジェンカ」を踊っている。二人とも楽しそう、そばでは二人の子供がはしゃいでいる。幸せそうな家族です。ごくごく平凡な家族です。家へ帰れば夫が子供たちをふろに入れている。ところがなぜか妻は不機嫌そう。疲れた顔、口調が打って変わって厳しい。そして子供たちを寝かしつけた後、夫婦二人になった。夫がそっと妻に告白する。さらっと...「浮気をした」。

あほです。なんでこんな時に言う、嫁の不機嫌そうな顔の目の前で。平手打ち、いやーイタリアの人は血の気が多いからねー。即刻追い出されます。当たり前です。こっからはもうお約束通り、子供を巻き込んでの家族の崩壊です。物語は1980年代から現代へ。時代を行ったり来たりする作品なんですが冷めた夫婦生活のまま老齢期を迎える夫婦、そして大人になった子供たち。普通の家族のようなのに何かがおかしい。歯車がかみ合わないまま、狂ったままの40年。精神がまともな家族でないことは確か。それを淡々と描いているわけです。イタリア語の原題は〝Ⅼacci〟。訳するとやっぱり「紐」と言う意味です。紐のように複雑に絡み合っていても、すぐに解けてしまう。そんな家族の物語です。

イタリア、ナポリ。1980年代、アルドとヴァンダの夫婦はアンナとサンドロと言う二人の子供に恵まれ平凡な家庭を築いていた。だが、突然のアルドの浮気の告白で崩壊が始まる。アルドはその日のうちに家を放り出され職場のあるローマへ。彼はラジオの朗読ホストを努めており、同じ職場に勤める浮気相手、リディアの元に身を寄せた。だが、妻のヴァンダはローマの職場に乗り込み何とかアルドの気を引き留めようとする。しかし彼の気がヴァンダに向くことはなかった。だが、子供たちだけは愛し続けているアルドは子供たちに会いにナポリへ帰ったり、ヴァンダが子供たちを連れてローマに乗り込んだりの生活が続く。家庭を捨てた父親なのに子供たちはアルドが家に帰ると大喜びする。一人すべてを背負い込むヴァンダは何もかもが面白くなかった。精神的に追い詰められたヴァンダは自殺を図る。辛うじて命を取り留めたヴァンダは一人で子供たちを育てる決心をする。

それから数年、少し大きくなった子供たちはヴァンダに連れられ久々に父親に会いに来た。最初はぎこちなかったアンナとサンドロだったが二人を楽しませようと必死にしゃべり続ける父を見て、ふとアンナは言う。

「パパの靴紐の結び方はおかしいわ。サンドロも同じような結び方をするの」

「じゃあ三人で一緒に靴ひもを結んでみよう」

他愛もない会話だったがなぜか家族らしい連帯感が生まれる。そしてその日をきっかけにアルドは家族の元へ帰ってくるのである。

それから数十年、夫婦の間は完全に冷め切ってはいたが兎にも角にも家族は一緒に暮らしてきたのであった。初老を迎えたアルドとヴァンダは小言を言いあいながらもヴァカンスへ出かける。旅先でも口を開けば罵りあい、愛情のない会話ばかりだ。二人ともうんざりして帰ってきたら、なんと家の中は泥棒にでも入られたように荒れ放題になっていた。飼っていた猫も姿を消していた。誰が一体...。

 

いやあ、しかし女の人って怖いですよねー。顔を一度も合わせたことないのに「こいつが私の敵だ!」って言うのが分かるんですよねー。夫の職場に乗り込み、帰り際、会ったこともないのに階段ですれ違いざま、目をぎらつかせ、今にも飛び掛からんとする、いや食らいつきそうな、あの妻の表情。これはトラウマになりそう。映画の名場面のひとつですわ。

そして子供の見ている前で人目もはばからず、掴み合いを始める夫、妻、愛人。これはきついですよ。それから数十年後、大人になった娘のアンナは弟のサンドロ言います。

「楽しそうに満面の笑みを浮かべて手を繋いで歩いている父さんとリディアを見てどう思ったと思う? 父さんとアンナに、『お願い!私も連れてって』母さんに後ろめたさを感じながら、罪悪感を感じながら心の底からそう願ったわ!」

まだ年端も行かない少女が感じる背徳感。あるんやなーどんな小さな子供でも。「悪いのは父の方なのに」でも明るい、楽しいほうに行きたいという子供の正直な感情。それでいて感じねばいけない「そう考えるのはいけない」と言う感情。

まあ私の父も母も幸いと言うかなんというかそんなことだけは一切なく、二人ともこの世を去りました。だから子供時代は幸せだったと言えるんでしょう。こんな背徳感感じたことないからね。

夫婦の絆が断ち切られ、家庭と言うものが崩壊していくとき、大人である夫婦はどっちが悪いにしろいいですよ。発散の仕方が分かってるんやから。喚き、怒鳴り散らし、罵りあう。でも幼い子供はどうしていいかわかりません。発散の仕方がないんです。まあ、それが数十年後のラストに繋がるわけなんですが...

 

何年か前に「不倫は文化だ」なんての賜っていた芸能人いましたけどね。今回のコロナ禍の最中、大バッシング受けた人です。人と言うのは他の生き物たちと違って、道徳、理性、抑制と言うものがあります。だから人だと思うんですが。

先日、瀬戸内寂聴さんが亡くなられました。大往生です。ご存じの方も多いと思いますが、仏門に入られた女流作家の先生です。人気あったんですよね、この方。しかし私は支持できません。仏門に入られる前は「愛」と「本能」のままに生きられた方です。まあその方の生き方は非難するつもりもないし、亡くなられた方を悪く言うつもりもないですが。この方の生きざまで深く傷つき、苦しめられた方がおられるわけです。それを「カッコいい」と崇め奉るようなことは...ちょっとね。

まっ、私のこの意見に異議申し立てある方は多々おられると思いますが...。そういう人に限ってフェミなんとか、人権なんとかと言う人なんですけどね。この映画観て、なーんか思いっきり脱線してしまいました。

 

子供がいなけりゃ好きにすりゃええけど、一番傷つき、苦しむのは子供と言うことを胆に銘じて私も生きていきたいと思います。って俺は関係ないか一人もんやから。

さて今週末は添乗で北海道です。映画は観れんからこのブログはお休み。先日、日帰りの添乗は終えましたが今度は2年半ぶりの泊りの添乗です。この間のブランク明けはしんどかったなー。たった一時間バス乗っただけやのに。北海道、でっかいどーで長距離走行やねー。なんか怖いわ。