ドライブ・マイ・カー | kazuのブログ

kazuのブログ

サラリーマン社長のムービートラベル

まず、上映時間を観て...長い!しかしこの作品「ドライブ・マイ・カー」は映画界では今、ちょっとした話題になっています。来月3月28日に行われる第94回アカデミー賞の作品賞にノミネートされたからです。日本映画がアカデミー賞にノミネートされたのは「万引き家族」以来3年ぶり、受賞すれば2009年の外国語映画賞に輝いた「おくりびと」以来13年ぶり、そして作品賞にノミネートされたのは何と史上初だそうです。日本人としては期待してしまいます。まあ、こんな理由がなければ観に行こうと思わなかったかもしれません。先日の「ウエストサイドストーリー」のような華やかに彩られた作品や「風と共に去りぬ」「ベンハー」「アラビアのロレンス」などのような超大作、スペクタクル作品なら時間も忘れて魅入ってしまいますが、なーんかパッと見というか、あらすじも読ます゛、予習もせずですがパンフレットの表紙やポスターを見るに限っては3時間と言うのはうーんどうかな?ハリウッドのある監督さんは「映画鑑賞時の観客の忍耐限度はせいぜい90~120分、私はそれに基準を置いている」と。

まあ、作品の種類にもよるんですけどね。けど、入ってましたねぇ~、前列2列目で鑑賞させて頂いたんですが空いているのは1列目、2列目のみ、以降はぎっしり満員でした。やはり「アカデミー賞」の効果ですかねぇ。公開されてもう一月以上は経つと思うんですが...。物語は結婚してから10数年たつ中年夫婦の深夜の寝室での何とも言えない官能的な会話から始まります。

深夜、夫婦の寝室。妻が裸の上半身を起こし横になっている夫にとめどなく物語を聞かせている。夫、家福(かふく)は舞台役者兼プロデューサー。妻の音(おと)はドラマの脚本家である。家福は音の吹き込んだテープを相手に愛車のサーブを運転中、舞台のセリフを暗唱するのが日課となっていた。家福が手掛ける舞台はキャストが多国籍の俳優たちで構成。セリフはそれぞれの母国語で話す。舞台にスクリーンを掲げそこに各国の翻訳を映し出すと言う一種独特の舞台で人気を博していた。そこそこ裕福な暮らしで仲むつましそうに見える二人であったが数年前に幼い娘を病で亡くすと言う悲しい過去がある。

ある日、家福が海外の舞台で成田からロシアに向かおうとしたが、現地の天候悪化でフライトがキャンセル。一日延びることになった。仕方なく自宅へ戻ったがそこで音が他の男と情事を重ねるのを目撃してしまう。だが、家福は黙って自宅を離れ成田にホテルを取り、音にはロシアへ行ったふりをする。二人の仲に亀裂が入ることを恐れたのである。それから数週間後、自宅を出ようとする家福に音が「今夜、少し話しできるかしら?」と問いかける。「いつも話はしてるじゃないか、変だな」と笑ってやり過ごした家福だったがどこか一抹の不安を感じていた。その夜、深夜に帰宅した家福は倒れている音を見つける。慌てて救急車を呼んだが音はそのまま帰らぬ人となる。

それから二年。広島の演劇祭で舞台をプロデュースすることになった家福は愛車を走らせる。広島で迎えてくれたのは責任者の柚原と言う女性と韓国人スタッフのユンスだった。二人は家福の希望通りのセッティングをこなしていたが一つだけ気に入らないことがあった。舞台となる練習会場から家福の仮住まいとなる瀬戸内海のレジデンスまでの移動に運転手を付けると言う。以前に招待したゲストが事故を起こしてしまったためであった。誰にも邪魔されない車内で一人セリフの暗唱をするのが日課となっている家福は固辞し続けたが紹介された小柄で若い女性みさきが運転する愛車のサーブの後部座席に乗ってみて彼女の運転技術に感心する。以降、彼女は家福の専属ドライバーとなった。みさきは無口で不愛想であったが、時間が大幅に遅れようと寄り道をしようと嫌な顔一つ見せず、何事も詮索しないみさきを家福はどこか気に入っていた。

舞台のオーディションはアジア各国の役者たちを募った。演じる物語は「ワーニャおじさん」。彼の舞台は多国籍のキャスティングで行う。日本、韓国、台湾、フィリピンそして手話の韓国女優...。だがその中に以前、音が彼に紹介した若い俳優、高槻がいた。なぜだか家福は主演のワーニャの役に高槻を指名した。高槻は自ら希望した役と違い訝しんだが早速セリフの朗読から舞台稽古が始まった。家福は高槻が有能な役者だとは思っていたが彼の感情を抑えられないその一面だけに不安を感じていた。初日の開演が近づき、稽古に熱が入るにつれ、お互い寡黙で不愛想な面だけは似ている家福とみさきの間にも変化が見え始めた。家福は妻のことを、みさきはシングルマザーだった母のことをポツリポツリと話し始める。そして舞台の方では主演のワーニャの役に戸惑い、なかなか演じ切れていなかった高槻もようやく様になってきたある日、衝撃の出来事が起こる...。

うーん、週二本の鑑賞分のブログはきついワー。しかも、両方ともほぼ3時間。「ウエストサイドストーリー」に関しての感想は先日述べた通り。で、この「ドライブ・マイ・カー」はどうだったかって言うと、こう言った人間の深層心理を描いた作品て言うのは観る人によっては心に響くものがあっただろうし、また、あーあ3時間退屈っいう人もいると思います。ドンパチで決めて、「ハイ勝ちました」って作品じゃないですからね。そう、評価が分かれるって言うところ。わたしはよかったと思いますよ。ラストの締めくくり方なんて、ちと「はあ?」って部分はいくつかあるんですけどね。まず人物設定が思いっきり複雑なところが面白かったですね。主人公の家福、多国籍の俳優をキャスティングし、それぞれの母国語でセリフを言う。主人公が日本人なら相手役は台湾人、脇役が韓国人もいればフィリピン人もいる。演者は難しいですよ、相手の母国語がわからなければ。どこで自分のセリフを離せばいいかわからない。そんな舞台の演出家です。そんな劇団あるのかな?私の記憶ではありません。それでまあ、自分の嫁の浮気を見過ごし、黙っているような男だから根が暗いんだ。殆ど笑顔を見せることがない。ずーっと胸の奥に淀んだものを抱えている。そして物語の基軸になる運転手みさきとの出会い。このみさきと言う女の子がまた家福に輪をかけたように暗い。この二人が移動の車の中で終始ムスーッとしているところからスタートし、徐々にお互いの似た境遇を感じ取り、氷が解けるように心を開いていく。それがこの物語の第一の見所であります。

物語の三分の一くらいまでやたらとベッドシーンが多く、少々辟易させられるし、どっか冷めた「今どきの夫婦」って感じであまり共感も覚えませんでした。ところが突然、妻が死に、最後にかわした言葉、「少し話がしたい」と言うのも謎のまま。もどかしさを抱えたまま舞台は広島へ。ここでようやくオープニングクレジットが流れます。なんちゅう長いプロローグや。変な映画...って思ったんやけどね。ここからポロリ、ポロリと複雑に絡んだ登場人物たちの深層心理に覆われたベールが剥がれていきます。それがなかなかに面白かったんですが...。
観終わった後は、まあこういった題材、ハリウッドがアカデミー賞が好きそうな題材やなと思いました。簡単に言うと玄人好みする作品です。それが一番の感想かな。

 

この作品を観た今週、不穏な動きを見せていたロシアがウクライナに侵攻し遂に戦争が始まってしまいました。この作品の舞台が広島。と言えばやはり世界で唯一の被爆都市です。戦争とは切っても切り離せない土地です。作者が舞台をこの広島にしたのがわかるような気がします。大戦の象徴である原爆ドームのあるすぐそばでいろんな国の人々が集まって一つの舞台を完成させる。そんな平和的な意図があったのかも知れません。しかし今の戦争はどうしても核兵器の影が必ずちらつきます。難しいですね。人類の最も偉大で最も愚かな発明が核兵器だと思います。ウクライナはかつてはこれを持っていました。だから戦争の抑止にもなっていた。なのに西側諸国の「守ってやる」との空約束の元に放棄しました。なのにアメリカも欧州諸国も勿論日本も手を差し伸べようとしません。たった一言「ロシアを非難します」の口ばっかし...。最低ですね。当然、「自分のものは自分で守らねばならない」この言葉がクローズアップされます。言いたくはないですが日本も「核武装」の議論をするべき時に来ていると思います。議論ではもう遅いかも知れない。アメリカが守ってくれるとは思っていてはいけないと思います。日米安全保障条約なんて何の役にも立ちません。今、いい例が東欧の地で展開されています。何といっても我が国の一番の敵は中国です。平然と他国の主権を踏み躙る国、土足で人の家に踏み込む国です。ロシア、中国。この二大専制国家を世界は断じて許してはならない!こんな映画を観た後でこんなことを言うのはほんまに自分自身で矛盾を感じます。

はぁーっ、ウラジミールプーチンと習近平。このバカ二人何とかこの世界から消えてくれませんかねぇ。この2人さえいなければ世界は平和です。まっ、おらんかったらおらんでちゃうバカが出て来るねんやけどなぁ。ほんま人類は愚かです。

日本に住んでおられる頭がお花畑の方々、よう考えてくださいね。それから中国に鼻薬を香がされ、「自分たちだけは大丈夫」と思っておられる我が国を混乱に陥れる左巻きの方々、占領されればあんたたちは用済みです。万が一、命を助けて貰っても家畜以下の扱いですよ。わかってますかぁ-。

 

あらら、こりゃあかんわ映画の感想より反共精神の方がいっぱい出てもた。舞台が広島でついついこんな話になってしまいましたが、ほんま口だけになってしまいますが、ウクライナの皆様に神の御恵みがあらんことを...。