「形式だけの決議は必要ない。意味がない。」
またや、またや、「れいわ新撰組」。ええかげんにせえよ!山本太郎!毎週、映画のためのページを割いてるんやけど度々脱線しますがもうほんま腹立つから全然関係ないけど、言う所ないからここでぶちかまさせてもらいます。国会でのこの案件は勿論、「ロシアへのウクライナ侵攻非難決議」です。こやつらのために全会一致となりませんでした。「れいわ新撰組」が非難決議に反対。理由がこれ...「形式だけの決議は必要ない。意味がない。」
ほんま、恥ずかしいわ。貴様らなぁ、これが理由になっとんのんか?これを理由に目立ちたいだけのす・た・ん・ど・ぷ・れ・い。日本人として恥ずかしい。こんなんがおるから日本の政治は三流と言われる。「形式だけの決議」って...お前なあ、それウクライナ国民の前へ行っても言えるんかっ!たわけっ!理由になっとらんやろっ!意味がないんやったら意味のあるもんにするのが政治家やろっ!きみーいっ、もう辞めてくれんか?と言うよりもう目の前から消えてくれんかなぁ。あんたのつら見ているだけで不快指数が急上昇や。ほんま情けなくなってくるわ。国益を損ねる政治家は政治家と呼べんのや。頼むさかい早よ辞めて。
ああっそれとそれともう一匹、と言うかもう一羽おったわ。ポッポッポー、ハトポッポッポーさん、またえらいこと言うてはるわー。「ロシアが進行したのはウクライナがロシア人を大量虐殺したせい」て...。多分、先月ロシアが国連に提出した報告書のこと言うてるんやと思うけど...。まさかほんまそんなこと考えてるんやないや...えっ?考えてる?はぁーっ、これが元総理大臣ですわ。穴があったら入りたい。こんなんを総理大臣にしたんや我々は...。あんたなぁ、ロシアがソ連時代を含めて今まで我国にしてきたこと忘れたんか?爺さんから聞かされてへんのかなぁ?日ソ不可侵条約を一方的に破棄して、「早よいかな、ごちそうに食いっばぐれるぅー」とばかりに強姦同然に北方四島を奪い取り、あわよくば北海道をも狙われたんやぞ。嘘、騙し討ちはこの民族の名誉や。卑怯だとか反則だとかそんな言葉はこの国の辞書にはないんやで。近いところじゃ北京志那大運動か...いや北京冬季オリンピックを見てもわかるやろ?まっこの猿と鳩はアホか売国奴のどっちかやね?どっちか言うとアホに近いと思うけど。
と、まあいろんなアホが浮き彫りになった一週間ですが、何度も言うようですが早くウクライナの皆さんが元の生活に戻れるよう願い、そしてこの戦争で亡くなった一般市民の方々、ウクライナ兵、ロシア兵の方々には心よりご冥福をお祈り申し上げます。
こんな情勢の中、今年もまた「アカデミー賞」の季節がやってきました。今年は良さそうな作品が揃ってます。今回のお題目「ドリ―ム・プラン」もその一つ。1990年台、突如テニス界に彗星のごとく現れたスーパーアスリート、ビーナス&セリーナのウィリアムズ姉妹誕生秘話を描いた物語。姉妹を育てた父リチャードウィリアムズにスポットライトが当てられています。演じるのはウィルスミス。正直言いますとですね、私、この人あんまり好きでありません。なぜかと言いますと、あんまりにも黒人差別のことを言いすぎ。何年前か、アカデミー賞で黒人のノミネートが少ないとボイコットしたことがありましたね。なんかいやーな気分でした、映画ファンとしては...。リベラルの多いハリウッドではそんなこともないと思うんやけどなぁ。私の知る限りですが、差別についてとやかく言うのは黒人差別だけ。そんなこと言うんやったらコロナの発生当時、ニューヨークやロサンゼルスでコロナ、コロナとアジア人を追い回していたのは黒人ばっかやなかったっけ?黒人を差別するんはええんかいなと...。そのことについては彼は触れなかった思うんやけど。近年こそ、今年の「ドライブ・マイ・カー」や前々年度の「半地下の家族」でアジアの映画人も評価され始めてますが俳優部門でアジア人はあまり観ません。記憶に新しいところじゃ渡辺謙、菊地凛子くらい。我々にしてみればもっと評価されてもいいと思うんやけど仕方ないですよ、アカデミー会員が一番優れたと思う俳優をノミネートするんやから...。ここでも「半分は黒人を入れないとアカン」なんて言うとどっかの国のどっかの野党が言ってる「半分は女性議員を!」なんてアホ丸出しの論調になってしまう。政治家も賞レースも、男性、女性、白人、黒人、黄色人種、優秀な人がその地位登り詰め、そのものを獲得する。だから優秀でありさえすれば全部その地位を女性が占め、全部の賞を黒人ばかりが占めたっていいんです。だから人は皆、切磋琢磨すると思うんですが...。
あぁ、また脱線しがちな私の映画評ですけど今回のウィルスミスはよかったですわ。どっちか言うと老け役でね。「インディペンデンス・デイ」や「バッド・ボーイズ」、「メン・イン・ブラック」なんかの精悍さはないけどじっくりとヘンコなステージパパ、それでいて娘たちに惜しみなく愛情を降り注ぎ、どんなに非難を浴びようと我が子を必死に守ろうとする父親の姿がなかなか...。主演男優賞でも、そして作品賞自体も今年のアカデミー賞にノミネートされています。どやっ、これで文句ないやろ、なあウィルスミス。
カリフォルニア州コンプトン。ロサンゼルスの南に隣接するこの下町に住むリチャードウィリアムズには5人の娘がいた。勉強、スポーツ各分野で皆、優秀だったがその中でもビーナス、セリーナの二人はテニスの才能がずば抜けていた。リチャードには「プラン」があった2人を必ず史上最高の女子テニスプレイヤーにする。「俺は二人が生まれてくる前からこの計画を考えていたんだ」彼は口癖のように言う。しかし、黒人とヒスパニック系が入り混じり、ストリートギャングが横行するこのコンプトンで子供をまともに育てることは至難の業であった。
南部の町で育ったリチャードは父親にさえ庇って貰えず、白人たちに迫害を受け続けた苦い過去がある。自分の使命は娘たちを守ること。そう心に誓う彼の娘たちに対する教育は厳しく、周りの人々の目には虐待とさえ映る。だが、町のギャング達からは体を張って娘たちを守り、昼間は娘たちのテニスコーチになり夜は夜勤の警備員として働く。そして娘達には惜しみなく愛情を注ぐ。妻のオラシーンだけはそんな彼の唯一の理解者だった。
テニス経験のないリチャードは独学で学び娘たちに教えていたが彼女たちの力が上達するにつれ自らの限界を感じていた。いろんな有名コーチに二人を売り込みに行くが相手にされない。だがある日、二人を連れてジョンマッケンローらを教えたポールコーエンの元に押しかけていく。最初は明らかに不快感を表し断っていたポールコーエンに対し、ほんの数分だけ相手をして貰うことが出来た。その時の二人の打球を見てコーエンはコーチを引き受けることになる。だが、コーチを受けることが出来るのは姉のビーナスだけ...。そんな失意のセリーナを励ましたのは母オラシーンだった。ビーナスは増々力をつけ、ジュニアの試合で連勝を続ける。脚光を浴びるビーナスの陰に隠れセリーナは人知れず努力を重ねる。そして、姉の出場する大会についていき注目される姉とは別に他のコートで違う部門の大会に出場する。そんなセリーナの姿を父リチャードは見逃していなかった。次第にジュニアの世界でウィリアムズ姉妹の名が知れ渡るようになる。するとスポンサーから勧誘の声がかかるようになる。だが、リチャードは一切断り続けた。そして、敗れた相手に対し嘲笑する娘たちを戒め、「勝者であっても謙虚であれ」と説く。リチャードが次に目を付けたのはフロリダで目を見張るようなテニスクラブを経営するリックメイシーだった。二人に整った設備で練習に専念させリックメイシーをコーチに付けることに成功した、ウィリアムズ一家は家族でフロリダに移住することになる。すべての費用はリックの負担...。
ビーナスはプロに転向。しかしビーナスにもセリーナにも大会には出場させず学業に専念させた。マルチナヒンギスら10代のプロテニスプレイヤーたちが誕生するなかリチャードの教育は徹底していた。だが、ビーナスにとって、セリーナにとって、ウィリアムズファミリーにとって、そして父リチャードにとって遂に「その日」がやってくる。
「お前は今から世界中の黒人少女たちにとって夢の存在になるんだ」
うーん、心に響きますねぇ~。このお父さん実を申しますと非常に評判の悪い人やったんですねぇ。当時は。勝手に娘のマネージメントをする。コーチの指導にいちいちイチャモンを付ける。まあ、今でいうモンスターペアレントと言うわけですな。正直、子供を預かる側としてはこういう親父一番困ります。マネージメントはともかく、指導方法に口出されるとプロの指導者さんたちは~やりにくいですわね。そして実際に娘のインタビュー中に割り込んでくることがあったのはこの映画で描かれている通りだそうです。変人で頑固、躾けは厳しい。ビデオで娘たちと「シンデレラ」を鑑賞しながら「なんでシンデレラは王子に愛されたか?」と娘たちに問いかけます。「彼女が謙虚であったからだ。」と結論付けるところは「お笑いか?」とも思ったんやけど、なかなかすごい親父さんです。自らの教育信念を曲げません。虐待があるとの通報で保護観察官がやって来て「雨の中で練習?厳しすぎやありませんか?」との問いかけに「厳しいさ!だけどここで娘たちを守るためだ!うちの娘たちは皆、成績はAだ!Aを取らないとテニスの練習はさせない!調べるんだろ?いいさ、調べろよ!」と堂々と胸を張って答える。揺るがないんですねぇ、教育に対する信念は。それは子供を心の底から愛しているからこそ言えること。リチャードは娘たちのテニス大会に足を運ぶにつれ、試合に負けたり、ミスをしたジュニアの選手たちに容赦なく罵声を浴びせる親たちに不快感を覚えます。そしてそんな親たちをプレッシャーに感じ、段々と心が荒んでいき相手に対する配慮が欠けて行くジュニアの選手たちの姿を観てやり場のない憤りを感じます。それが「シンデレラ」の話しに繋がっていく。傍から見れば一見、自由奔放、我がまま言い放題し放題でリチャード自身が〝グランドパパ〟のように思われますが、「厳しさ」「躾け」は愛する娘たちを「壊したくない」一心からだと言うことがよくわかります。
スーパースターの二人の娘に焦点を当てず、二人を育てた父親の「信念」にスポットライトを当てたこの作品、いわゆる「老役」ですがウィルスミスは本当に良かった。今回は黒人初のスタープレイヤーの父娘を描いたにもかかわらず「差別」に関してはねちっこく語らず、さらっと描いて、親の愛情に重点を置いたことに好感が持てました。事実かどうか、脚色があったかどうかはさて置いといて試合後、相手を称え合い、配慮をし合うこのクリーンな精神、スポーツマンシップ。あの淀み切った近平ちゃん主催の父兄参加中国大うんどうか...いや、北京冬季オリンピックを見せつけられた後だけにやっぱりこの作品、余計に映えますな。