羊飼いと風船 | kazuのブログ

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チベット映画ですと...「こりゃあ、反中共(中国共産党)映画やな、どんな中国の極悪非道な事描いとるねん?ほな、観に行かなあかんな」とほぼ勇み足の状態で観に行った作品ですが、確かにドラマの冒頭「1980年以降の中国の計画生育政策(いわゆる一人っ子政策)の影響が押し寄せるチベットで...」と始まるんですが、そうそう中国の悪行を描くわけでもなく、そこではチベットの大草原で羊たちを育て逞しく生きる牧畜民族の一家の姿が描かれてました。何か少々肩透かしの観は否めないものの、大真面目にシビアに生活感ムンムン描いてもどこか下ネタありで笑ってしまう作品です。

1980年代以降、チベット東北部の高原。ここにも近代化の波と中国政府の「人口抑制政策」の影響が影を落としていた。馬はオートバイや車に代わり、携帯電話もある。しかし、朝早くから夜まで働く羊飼いの牧場一家の生活は変らない。家族は一家の大黒柱タルギェと働き者の妻ドルカル、それに今は町の寄宿学校へ通う息子に羊の群れと走り回る小さな二人の弟。それから年老いたタルギェの父である。今日も放牧先の高原で二人の小さな息子が両親の寝室から避妊用具を盗み出し、風船代わりにしてタルギェから怒鳴られているところだ。羊を追い、育て、種付けをし、羊をそしてその肉を売る。牧場家族は裕福とは言えなくても逞しく生きている。

もうすぐ夏休み、長男が寄宿学校から戻って来る。長男を迎えに行ったのは昔、恋敗れて尼僧になり久しぶりに姉のドルカルがいる牧場へ帰ってきた叔母のシャンチュである。だが、そこで尼僧になる原因となった昔の恋人が甥の教師となって働いていたのだ。突然の再会に気まずくなる二人。シャンチュは甥を連れて姉のいる牧場へ帰ってきた。牧場家族に長男と妻の妹が加わり久しぶりに賑やかな団らんの日が続く。

そんなある日、羊の商売で他の牧場へ出かけた家長タルギェと長男に老父の死の知らせが届く。夜中、オートバイを走らせ家に戻ると既にチベット僧たちによる父の葬儀が始まっていた。チベット仏教では輪廻転生が信じられている。葬儀の後、悲しみに暮れるドルギェはチベット高僧に「父の転生はいつか」と尋ねる。高僧の答えは「間もなく」だった。そんな時、妻のドルカルが4人目の子を身籠る...。

父の転生だと信じ込み大喜びするタルギェや子供たちと対照的にドルカルは思い悩む。働き者の彼女であるがただでさえきつい牧場の仕事に4人の子供の子育て、それに加え中国政府の計画生育政策。精悍無比の夫の妻であるドルカルはすでに3人の子供がいる。もう一人生むということはさらなる重い罰金が課せられる。これ以上の負担は彼女にとって限界だった。「堕ろしたい」そう訴える彼女にタルギェは激怒する。ついにドルカルはある決断をする...。

まあ、ストーリーだけ追っていくと貧困大家族根性物語で涙をそそるもんなんやけどどうしても笑ってしまいます。見るからに旦那は精力満タン、衰え知らず、働きっぷりも荒々しいが、あんだけ激しい肉体労働をやりながら「どこに力が有り余ってんのん?」って言うようなまさに「イタリアの種馬」ならぬ「チベットの種馬」。子供はコ〇〇〇ムの風船をもって走り回るまさに天真爛漫、天衣無縫のネイチャーボウイ達。牧場の奥さんが町の女医さんと避妊具のやりとりをするなど、罰金の積み重ねでおまけに、しょっちゅう種付けされるわ、刈られるわで、そりぁ主婦も大変です。まあこんなん見てたら、今の時代、ことあるごとに女の人が絡んできて爺様議員の首が簡単に飛ぶってのはまあ致し方ないことかなと思ってしまう次第です。

この作品、チベット語なんやけど中国映画なんです。そりゃあそう、チベットは中国の省の中の一つ、自治州です。こんな人権弾圧やってる国が中国の悪口言いたい放題の映画作らせるわけがない。ブラットピットが主演した「セブンイヤーズインチベット」なんか中国では上映禁止やもんね。「言論統制」ってやつ...

この監督さんペマツェテンさん。思うところあると思いますよ。でもそんな中でチベット人たちが逞しく生きていく様や、この時代に入ってもなお、女性の言い分が聞き入れてもらえなかった時代を描いて問題提起もしています。まだまだ描きたかったこと多々あると思いますが早く中共が崩壊して思う存分チベットの思いを描ける作品が出来る時代が来ることを真に願います。