まず初めに......本日、投稿する前に、グラフィックデザイナーの横尾忠則氏が本作「男はつらいよ お帰り、寅さん」は私のアイデアで山田洋次監督はそれを盗用した、訴えていたのをネットで見かけました。正直、この国民的シリーズに泥をかけられたようでファンとしては何ともいたたまれない気持ちだと思います。盗用は決して良くないし考案なりなんなりタイトルに名前を出せば問題なかったとも思うんやけど、山田監督も齢88歳。そこまで気が回らなかったのかそれとも?片方の言い分しか聞いてないので何とも言えないし、こんなことで日本の下町情緒、人情喜劇、そんな日本人にしかわからない感性の最高峰をある意味汚された気分。正直、この横尾氏にも「おっさんちょっとくらいだまっとけよ、相手の歳考えたれや」という思いもあるのも確か。
友情がどうのこうのと80にもなった爺様同士が何とも「〇〇の穴」が小さいことで...
とにもかくにも、この作品が製作されるにあたって正直、「渥美清さん自身はもうお亡くなりになっている、それを23年もほったらかして今更、何をどう描くんや」という気でいたのだが、フラッシュパック、回想シーンとして昔のシリーズの名シーンを本作のストーリーの要所要所に入れてなかなか作品として成立しています。でも観客が笑うのは昔のシーンばかり、本作自体はなんかやっぱりくらーい雰囲気が漂う。オリジナルとしての作品で渥美清主演の最後の作品としては「男はつらいよ 紅の花」が最後。吉岡秀隆扮する満男が後藤久美子の美少女、泉との愛を再び取り戻す。というところで物語は終わる。その後、渥美さんが亡くなってしまうわけだが観ているファンとしては「これで終わり、満男と泉が一緒になって寅さんが天国から見守るんだな」でよかったんだと思う。
ところが山田洋次監督としては中途半端やったんやろうね。本作ではあれから同じくらいの年月が経ち、満男と泉は別れ、満男は脱サラし、小説家の道を歩もうとしている。そして結婚して高校生になる女の子もいるのだが奥さんは6年前に他界。一方の泉も海外で暮らし結婚し、子供も設けているが国連で難民のために働くキャリアウーマンとして世界中を飛び回っている。そんな彼女が久しぶりに日本に戻ってきて満男と再会...というのがこの物語なのであるが、完全に物語の主人公は満男と泉である。第41作目からはどちらかというと満男の成長物語、寅さんは彼の恋の、そして人生の指南役としての師弟関係が描かれることが多かった。師の後を追うのが弟子、ということでどうしても山田洋次は満男と泉の中を裂きたかったんやな。
ラストは「男はつらいよ」シリーズでもしやの不倫?と思いきや、そんなこと考えるのはやはり下世話好きな者たちが考えること。恋とか友情とか、恋人だとか夫婦だとか、そんなものを超越して自分がこの世で一番大切だなと思う人、その人のために何かをしてあげたい、幸せになってほしい。そこに損得勘定はもちろん自分のものにしたいとか、一緒になりたいとかいうものはない。寅さんてそういうことを考えることができる存在だな、というのがこの最終作品でみて感じられたこと。ずーっと笑わせてばかりの物語だけどいつも最後にはホロリとさせる、自分は傷ついても相手を傷つけることは決して許さないという信念が車寅次郎のダンディズム。かっこよく言えば...でもそれが時には滑稽に見えたり、無様に見えたりというのが皆に愛されるんやろうね。
私の大好きな寅さんのセリフにこういうのがあります。
満男 「おじさん、なんで人は生きていかなくちゃいけないんだろう?」
寅 「お前難しいこと聞くねえ、そうだなぁ、人間、長いこと生きていたら、生きていてよかったなぁって思うことあるだろう。そのために生きてんじゃないの」
私、恥ずかしながらいつもくじけそうになる時このセリフ思い出します。まあ、あまり近頃は「生きていてよかったなぁ」と思うことは少なくなりましたが。
冒頭でお話しした、盗用の件ともう一つ気に入らなかったことは、物語の最初の「男はつらいよ」のテーマソングを桑田佳祐
に歌わせたこと。それも寅さんモドキの服を着て。これ気に入らんかったし、違和感あったし。いつも通りの渥美清の歌でええやん。まっ好き嫌いもあるやろうけど....