高田VSヒクソンから28年 | ONCE IN A LIFETIME

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フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

10.9の次と言えば、10.11である。往年のプロレスファンであれば、この数字を見るだけで自然と高田VSヒクソンの文字が浮かんでくるはずである。それほどまで、この対戦は後々にまで影響を与えた出来事だったのである。

 

当時の時代背景などはおそらく以前触れていたかと思うが、とにかく常に八百長、やらせ、と言う言葉と戦ってきたファンにとって、「プロレスこそ最強」と言うのは全ての心の拠り所であった。しかし、1993年にUFCが発足し、翌年それに刺激を受けた佐山聡がヒクソンを招聘するなど、この90年代中盤と言うのはその心の拠り所が崩壊しかかっていた頃であった。

 

そんな崖っぷちの時代に、これまでUインターで常に最強を謳ってきた髙田延彦が、400戦無敗の看板を欲しいままとしていた絶対的ラスボスのヒクソンと、何の因縁もなくあっさり決定してしまったのだ。もちろん、プロレスとの最初の接点はあの安生洋二の道場破りであるし、翌年にはリングスの山本が対決するなど、すでに避けられる所までは来ていた。

 

しかし、プロレス的な流れで行くと、まずはUインターの他の連中から、と言うのが筋なだけに、いきなりエースの髙田延彦との対決が実現するなどはとても想像付かなかったものだ。

 

と言う訳で、決定から試合まで5カ月ぐらいあったかと思うが、その最中も本当にこんな対決が実現してしまうのか、と半信半疑になるほどだった。それほどまでに、いきなり頂上対決と言うのは当時としても信じがたいものがあったのだ。

 

まあ、結果は5分持たずに完敗だった訳だが、スカパー黎明期のPPV、かつ当然ビデオ化の予定もあったためになかなか映像で観る事は出来なかった。一応、土日かの夕方に放映されたリングの魂の特番において、一番長い尺で観れたと思うのであるが、当然結果を知った大分あとの事である。

 

その後もYouTubeでも完全版はなかなか観る事は出来なかったのだが、最近になってようやく当時の日本語実況付きの映像がフルでアップされた。そこで私も最初から初めてノーカットで観たのであるが、想像以上に高田がヒクソンの周りをグルグル回っており、もうこれ見ただけで勝ち目はないな、と思ったものである。

 

往年のファンならご存知だろうが、かつてジャイアント馬場がジャンボ鶴田に、「相手に自分の周りをまわらせろ。そうすればどっちが強そうに見えるのかお客さんからは一目瞭然だ」的なアドバイスをした事があった。実際、鶴田はかの長州力戦において、長州に自分の周りをまわらせて自分への格上感を出している。

 

そして、前述のようにこの試合の高田は、私の想像をはるかに上回るレベルでヒクソンの周りをまわっていた。当然、何かしら戦法はあったかも知れないのだが、素人からしたら逃げ回っているようにしか見えなかった。もちろん、高田の方がいくらか若いので、スタミナをロスさせる事もありえたのかも知れないが、それでもいかんせんどっちが強くて弱いのか一目瞭然すぎた。

 

なので、これ見て当時の観客の気持ちになってしまった訳であるが、しばらくは映像を観る事が出来なかったので当然そんな経過は知らず、ひたすら4分47秒腕十字と言う結果だけで絶望せざるを得なかった。なので、Uインターの最強時代を観ていた私としては本当にショックとしかいいようがなかったのであるが、もしリアルタイムでこの試合を観ていたら、これじゃどうしようもないな、と逆に諦めがついたのかも知れない。