10.9から30年 その3 | ONCE IN A LIFETIME

ONCE IN A LIFETIME

フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

長州と高田の電話会談の内容は、手元に資料がないので記憶に頼るのみである。しかし、それまでの両団体の交渉は、新日本側は常に長州や永島が先導していたのに対し、Uインター側はトップでありしかも社長であるはずの高田が殆ど表に出てくる事はなく、それがファンのフラストレーションを募る一貫でもあった。

 

しかし、今回は初めて高田が表に出てきて、長州と電話ながら直に交渉したのだ。もちろん、これも演出の一貫ではあったのだが、裏事情を知らないファンとしてはひたすら興奮するしかなかったものだ。そして、ドームのメインにいきなり武藤と高田のシングルマッチが決まった。前回触れたように、明確に団体間に壁がある中での対抗戦、しかも団体どころかプロレス界を代表するクラスのトップ同士の戦いなど、正直ファイプロの中でしか実現しえなかった夢だった。

 

それが、殆ど何の前触れもなく実現してしまうのである。この衝撃を今のファンに分かりやすく説明するのはとても難しいのだが、あえて言うなら今大谷翔平が突然ヤンキースに移籍して、アーロン・ジャッジとクリーンナップを組むぐらいの衝撃かと思う。それぐらいのとんでもない対決だったのだ。

 

それに匹敵する他の目玉と言えば、やはり長州と安生だろう。新日本ファンにとって、宮戸と共に憎き存在だった安生が、いきなり新日本の親分である長州と戦うのだ。当然、格としては圧倒的に長州なので、殆どのファンが完膚なきまでに長州が叩きのめしてくれる事を願っただろう。

 

また、よく分からないのが、発表された時点ではUWFインター公式ルールでの対戦、とされた事だ。あっさり新日本のルールに取って代わられたのだが、新日本主催のリングでUインタールールになるはずがないので、これは未だに謎だ。

 

そして、それからの1ヵ月はひたすら煽りとなっていったのだが、その前の横浜アリーナ大会で前哨戦となる長州・永田VS安生・中野の試合が組まれた。正直、集客としては良かれとは思うのだが、個人的には溜めに溜めて当日のインパクトをさらに上げて欲しかったので、個人的にはしてほしくなかったのが本音である。

 

そして10.9当日だが、実は私は会場には行っていないのである。なので、当日の朝刊スポーツ紙で結果を知ったのだが、なんと日刊スポーツが売り切れ、仕方なく一面だったスポニチを買ったのだが、実はこの当時朝刊スポーツ紙でプロレスを扱っていたのはニッカンとデイリーのみだったのだ。なので、スポニチが一面としていたのには驚いたのだが、それだけ注目の一戦だったという事だ。逆に、これを一面にしなかった朝刊紙は軒並み売れ残っていたらしい。消去法でいけばサンスポだろう。

 

また、当日速報として、当時テレ朝の深夜で大人気だったTONIGHT2で速報していたらしく、実際にYouTubeでも観たのであるが、この番組はしばしばプロレスを扱っていたので、ネットの無い時代としては貴重な情報源だった。ただ、司会の人が若干プロレスに懐疑的だったのが気になったのだけども。

 

そして個人的な事なのだが、この時期に私はゴングから週プロへと鞍替えした。増刊は買っていたのであるが、本誌を買い始めたのはこの頃であり、大会の直前だかそのぐらいだったかと思う。当然、大会の号は武藤が表紙、新日本5勝3敗、圧勝!、と言う見出しだったかと思う。

 

で、最初に触れたように、この当時は殆どのプロレスファンは信じていた、当然、私も信じて疑わなかったのであるが、正直、パンクラスを中心にU系もそれなりに観ていたので、武藤が勝つとは嬉しいと同時に意外にも思えたものだ。また、U系は相手の技を安易に受けないはずなのに、新日本のリングだと相手の協力がないと絶対にかからない足4の字で負けた、と言うのも?マークが浮かんだものだ。

 

全カードの中で、最も新日ファンの留飲が下がったのは長州と安生だろう。文字通り叩きのめした、と言う感じなのだが、今見ると安生が自身の立ち位置と役割を見事に果たしたという感じだ。安生のテーマ曲自身も、安生の人を逆なでするキャラクターを良く表しており、新たな平成のヒール像を確立したようにも思えた。

 

ただ、この時長州が、ラリアットからフォールにいかず、サソリ固めで決めたのは少々意外だった。と言うのも、サソリ固めは確かに長州の代名詞でこそあるものの、基本のフィニッシャーはあくまでリキ・ラリアットだったからだ。Uインターのルールだと3カウントはないので、言い訳をさせないためにあえてそれで決めたのだろうか。それはあくまで想像でしかない。

 

その後、UWFインターの会場でも対抗戦が開催され、上手く星を調整し、そして年始のドームでは高田がリベンジを果たした。しかし、ファンの記憶に刻まれているのはあくまでも武藤が足4の字固めで高田をギブアップに追い込んだあのシーンだ。これは、あとプロレスが続く限り変わらないだろう。それだけ、この10.9は日付が固有名詞になるぐらいの、歴史的な大会だった。