元々、この年の神戸ワールド記念ホールではムタとライガーの「夢の対決」が組まれていたのであるが、同シリーズの愛知県体育館大会においてライガーが足首を負傷してしまったため、直前でお流れとなってしまった。しかし、すでに闘魂Vスペシャルの発売が決まっていたためか、さすがにムタの試合ごとキャンセルは出来ず、代役の木戸修を立てての試合となった。
なので、何の変哲もないカードとなってしまった訳であるが、それでもこの試合に関しては本来のライガー戦用の新コスチュームで登場し、また闘魂Vでの差し替え入場曲も鈴木修氏監修と言う事で、実際のムタの曲に近い感じとなっており、これもなかなか良かったものである。
試合は当然ムタが勝利したが、前回触れたようにコメンテーターも武藤が担当しており、顔面に毒霧を吹かれた木戸は、その後3日間ぐらい武藤と口を聞いてくれなかったという。翌月は恒例のSGタッグリーグ戦に馳浩と組んでの出場となったが、この年の4月からワールドプロレスリングの放映が深夜になり、ゴルフで飛ばされなくなったため、シリーズ中もそこそこテレビ中継はあったかと思う。
しかし、さすがに年末の風物詩となっていた全日本の世界最強タッグに比べると、私的にもどうしても新日本のタッグリーグは力が入らず、あまり注目もしていなかったのであるが、蝶野・マシン組との決勝において大事件が起きた事で、後世に語られる事となった。言うまでもなく、シリーズ中から不協和音が絶えなかった2人が仲間割れし、マシンがマスクを脱いで平田となった試合がこの時だからだ。
無論、会場は割れんばかりの平田コールに包まれた訳であるが、そこからの展開がいささか急であり、蝶野が平田を置き去りにしてとっとと控室に帰った事もあって、あっさりと武藤のムーンサルトによってフォール負けで決着が着いた。また、この試合はワールドで視聴可能なので、久々に見てみたのであるが、相変わらずテレ朝のカメラワークが悪く、武藤のムーンサルトの全体像が映っていないという最悪のものとなってしまっている。
結局、2人の優勝と言うよりも、久々の平田の素顔と、そして「しょっぱい試合ですいません」と言う名言ばかりが後世に伝えられる形となり、私自身もそればかりが印象に残ってしまっている。なので、武藤としては結果的に平田に美味しい所を持っていかれた形だったので、案外不本意な形で終わってしまったのかも知れない。
そして、その年はIWGPに挑戦する事もなく、年始の1月4日を迎えたが、なんとこの日は前年と全く同じ武藤・馳VSスタイナーズのカードが組まれ、そして対スタイナーズ初勝利を果たしたのであるが、ドームとなるとムタを期待してしまう私としてはいささか拍子抜けのカードだった。また、この日は猪木のファイナルカウントダウン3rdの格闘技トーナメントと言う無理のある企画が組まれたよう、かなりカード編成にも苦心した後が伺われた。