1994年は全体的に橋本推しであったので、武藤として目立った動きはなかったかと思うし私も印象に残る出来事はない。という訳で、いきなり8月のG1クライマックスに話は飛ぶが、この年は前年の反省を活かして両国5連戦に短縮し、もちろん全戦G1絡みという濃縮されたシリーズとなった。
当然、全大会とも超満員となったのであるが、この年も決勝と4日目は早々に売り切れてしまったので、3日目だけに足を運ぶ事が出来た。購入当時はまだカード発表前であったのだが、蓋を開けてみるとメインは長州力VS武藤敬司、その他も馳VS越中、橋本VSパワーなどの好カードが目白押しであり、前年とは比較にならないほどの豪華カードであった。
ただ、後者2試合があまりにも白熱したせいもあるのか、メインも凡戦ではなかったとは言え、そこまで白熱した歴史に残る名勝負、というほどでもなかったかと思う。メインは長州のサソリ固めを反転しての変形足4の字固めという、当時としては意外なフィニッシュであったのだが、返し技という事もあるとは言え、この形でのフィニッシュはこれっきりだったと思う。
なので、以降これがフィニッシュになる事はなかったのであるが、すでに高田戦の1年前の出来事であった事を思うと、この頃からムーンサルトに代わるフィニッシャーを模索していた事は確かかも知れない。ただ、この当時長州VS武藤戦が組まれる事自体珍しく、私の記憶にある限り、ムタとしてを除けば長州とのシングル戦は1992年の大阪城以来だったかも知れない。なので、もしそれが正しいとするなら、長州戦シングル初勝利であったかと思う。
ただ、ご存知のようにこの年は蝶野がまさかの3度目の優勝、かつ白蝶野として最後の優勝、大会となり、またしても武藤は優勝を逃す事となってしまう。9月は前年に引き続き、G1スペシャルが開催され、私は23日の横アリに行く事が出来た。この大会では、ムタと黒蝶野の初対決となったのであるが、巷では凡戦と言われているにも関わらず、私的にはそこそこ楽しめた試合だった。
特に、試合の中盤でムタがリングを叩く小槌で蝶野の頭を滅多突きにした時などは、当時まだプロレスの流血のシステムを知らなかった私としては戦慄が走ったものである。また、ホーガンに負けて以来ムタはすでに無敵ではなくなっていたので、あいにくムタは負けてしまうのであるが、蝶野推しの当時としてはやむを得なかったかと思う。
そして、大阪城ホールではタッグマッチで長州と再戦が行われたのであるが、この時はまさかの長州の足4の字固めでギブアップ負けを喫した。サソリ固めという絶対的なフィニッシャーを持つ長州が、まさか他の足殺し、しかもその象徴とも言える足4の字を使うとは驚くしかなかったものである。
ただ、この試合は毎年恒例のノーテレビであったのだが、私は武藤敬司自ら解説していた闘魂Vスペシャルにおいて観る事が出来た。ただ、目玉はもちろんこの試合ではない。そう、この年はライガーの怪我により中止となってしまった代わりに組まれた、神戸ワールド記念ホールのムタVS木戸戦である。