ドーム以降、私は2月の武道館と、3月の東京体育館大会へと足を運んだのであるが、あいにくいずれも武藤は出場していない。当時のソースが探せないので何故欠場していたのかは分からないのであるが、と言う訳で次は一気に5月の福岡ドーム大会である。
前年が豪華すぎたが故に、さすがにあれ以上のカードを用意するのは困難、と言う訳で前年に比べるとかなりスケールダウンした感が否めなかった。と言う訳で、カウントダウンを発表した猪木の商品価値はまだまだこの時点では高く、前年に引き続きメイン、しかもシングル、そしてその相手がなんとグレート・ムタとなった。
しかし、それまで特に因縁もストーリーもなかったので、かなり唐突に組まれた感は否めなかった。しかも、この時点でもまだ前年の金銭疑惑がまだ尾を引いており、猪木は一切ワールドプロレスリングの放送に乗る事が出来なかったのだ。と言う訳で、福岡大会への煽りとも言える西日本、九州シリーズでは熊本のテレビマッチで急遽ムタとして登場したり、そしてその極めつけが4月の広島大会における長州・天龍VS武藤・蝶野戦だった。
試合開始早々、天龍に「ムタで来い!」と挑発された武藤はそのまま花道を引き返し、10分した所で蝶野とのNWA戦以来の白塗りの赤字ペイントで登場した。試合中にペイントが溶けて素顔になる事はあっても、その逆はあり得なかった話であり、この時の会場の盛り上がりは大変なものがあったのだ。結果は蝶野がフォール負けして終わったのであるが、当然ムタはそんな事はお構いなしであり、当日試合出場した猪木にも因縁をふっかけていったのである。
しかし、前述のように猪木はまだ放送に乗る事が出来なかったので、当然このシーンは放送されなかった。しかし、ドームの「猪木VS天龍」はテレビ的には「なかったこと」とされていたのに対し、さすがに集客に苦戦する福岡ドーム大会ではそうもいかず、黒バックに白字で殴り書きのように「猪木VSムタ」と書かれた文字だけの煽りが使われていた。
という訳で、猪木がテレビに出れない代わりに、ムタが必死とも言えるほどのプロモーションを仕掛けていったものである。試合ももちろんその時点ではオンエアーされなかったのであるが、その代わりに当時放映が開始されたばかりのリングの魂において、南原氏が試合終了の瞬間を見届ける絵だけが紹介された。
この試合はのちに「キラー猪木」と言うビデオシリーズの目玉として発売され、そして翌年1月にようやくテレ朝でも放映されたので、もちろん今では自由に見る事が出来るのであるが、終始ムタのペースで進んだ試合は完全に猪木がムタに喰われた形となってしまったため、試合後の猪木が非常に不機嫌だった事が今なお印象深い。