幸いにも、数か月後に行きつけのお店でビデオが入荷してくれたので、それでようやくムタVSカブキ戦を見る事が出来た。しかし、当時の市販ビデオの宿命により、当然の事ながら入場曲は差し替えである。しかし、ビデオパックニッポンが用意したムタ用のBGMはなかなか出来が良く、個人的には悪くはなかった。
現時点で唯一の両国7連戦となっているこの年のG1は、前年同様にトーナメントで行われたのだが、トーナメントが行われたのは2~6日の5日間のみであり、当然私が行った初日は公式戦はゼロ。私が電話予約した日にはすでに最終日と6日目は売り切れていたので、仕方なく一回戦を目当てに初日を選んだのであるが、前述のように公式戦はゼロであり、何の変哲もないカードばかりが並んでいたという詐欺のような日だった。
まあ、それでも自分の他にも騙された人が多かったせいか会場自体はほぼ満員だったので、盛り上がりも良かったし、さらに単なる6人タッグながらムーンサルトまで披露してくれた武藤にも驚いたものである。テレビでしか見てないと毎回ムーンサルトで決めているような感覚を受けるが、本当は全然そんな事はなく、地方ではもっぱらドラゴンスリーパーなどを決め技としていたものだ。それでも、あの高田戦が行われるまでは、ムーンサルト以外にこれぞと言う決め技は存在していなかった。
そしてこの年のG1でも準決勝まで進出したのであるが、藤波のこれも珍しい胴絞めドラゴンスリーパーで敗れた。これと、メインである蝶野VS馳はダイジェストながらテレビでも流されたのであるが、実際はノーテレビのビデオ収録のみであり、辻アナがスタジオでアテレコしたものが放映された。このふたつはいずれも20分越えの試合であり、会場もかなり盛り上がっていた感があったので、出来ればテレビ収録してもう少し多く流してほしかったものである。
翌月からはG1スペシャルが開始されたが、両国7連戦をターザン山本などが失敗と断罪したしせいもあるのか、非常に豪華なカードが組まれていった。その先鞭が、愛知県体育館のムタVS橋本のIWGP戦である。しかし、この大会もノーテレビのビデオ収録のみであり、当時はもちろん今でも映像で見た事がない。そして、ジャンピングDDTで敗れたムタは、1年1ヵ月守ってきたベルトを橋本に明け渡し、本格的な三銃士時代が到来し始める。
唯一のテレビマッチとなった横浜アリーナ大会では、今度はハルク・ホーガンと組み、ホーク健介のヘルレイザースとのタッグ対決と言うこれまた夢のカードが組まれる。さすがのヘルレイザースと言えど、ホーガン相手に勝てる訳もなく、ホーガンが健介を仕留めて勝利したのだが、実際に会場に居た私にとって、この時が初めて生で見るハルク・ホーガンの試合であり、「リアル・アメリカン」がかかった瞬間からそれはそれは興奮したものである。