マシン戦以降は、馳と組んでIWGPタッグ王座などにもついたりしたのだが、何故か私はその試合をテレビで見た記憶がないので、ここではスキップする。と言う訳で、次はいきなり史上初のイッテンヨンとなった1992年1月4日の旗揚げ20周年記念大会であった「超戦士in闘強導夢」である。
この大会ではムタはスティングと組み、スタイナーブラザーズと対戦したのだが、見ての通り完全にWCW直輸入マッチであり、よって初の青ムタとなったこの試合ではヒールの要素はほとんど出ず、ひたすらアメリカンプロレスをエンジョイしていた感だった。しかし、スティングがセールを嫌がったのかどうかは知らないが、ムタはひたすらスタイナーズの強烈な投げ技らを受ける役目となり、比較的損な役回りに見えたものだ。
そして、この試合のみ、当日のスペシャルゲストによる女性のみのバンド「SHOW-YA」による生演奏での入場となったのであるが、当然和楽器は演奏出来るはずもなく、前半に当時発売されたばかりのMUTAのCDバージョンが少し流れ、その後に原曲のHOLD OUTによる入場となった。また、私はこの試合を見るまでスタイナーズの事は全く知らなかったので、タッグチームとしてはウォリアーズ以来のインパクトを受けたものだった。
前述のよう、1991年の12月にMUTAのオリジナル入場曲がアルバムCDで発売されたのであるが、こちらはそれまで使用されていたいわゆるプロトタイプではなく、改めて録音された完成バージョンだった。一応、このドーム大会からCDバージョンが使用されていったのであるが、プロトタイプの出来もかなり良かったため、一部テーマ曲マニアの落胆を買ったものである。
3月では、猪木の故郷である横浜アリーナにおいても20周年興行を行う。この試合では馳と組み、ベイダーとビガロと言う、当時の新日本最強外国人タッグチームとの対戦となったが、ベイダーのチョークスラムの前に武藤がフォール負けを果たした。初めて素顔の武藤敬司で試合をした横浜アリーナ大会であったのだが、あいにく武藤が負け役となってしまったのだ。
因みに、この時点では確かまだ田上明は輪島が考案したアームボンバーをメインで使用しており、のちのいわゆるのど輪落としはまだ使っていなかった、少なくとも自分は見た事がなかったので、この時に初めてチョークスラムと言う技を見たのである。しかし、当時は正式名称が分からず、しばらくは分からないままだった。