ドリームキャスト発売24周年・その2 | ONCE IN A LIFETIME

ONCE IN A LIFETIME

フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

DCが発表された事で、当然メーカーはSSへのリリースは渋っていったため、1998年は実質的にはSS最後とも言える年であった。しかし、ハード末期なだけ名作は多く、かつ当然出荷本数はセーブされたため、プレミア化したソフトが多いのも特徴である。具体的には「バトルガレッガ」や「レイディアントシルバーガン」などであり、特に後者などは発売から2年後にはすでに倍以上の相場になっていたものだ。

 

そして、このDCにおいては、それまでセガが弱いとされてきた一般層へのアピールが徹底的に行われた。一番有名なのはかの湯川専務である。この当時は今とは比較にならないほどテレビが強い時代であったので、おそらく国民の相当数への知名度はあったと思われる。ただ、「セガなんてだせーよな」と言う自虐的なCMなどは、正直ブランドイメージ的にはどうだったのかと思われるし、またセガファンの心を傷つけた事も確かである。

 

売り上げでは圧倒的に負けていても、ソフトのクオリティは絶対負けていないという自負がファンの中にはあり、実際名作は星の数であったのだから、セガ自らがセガブランドを否定するようなCMを放映するのはどうなんだ?と思ったものだ。まあ、この辺りは外部スタッフなども色々絡んでいたらしいのであるが、前年のせがた三四郎も含めて、セガのマーケティングの方向性には疑問を抱かざるを得なかったものだ。

 

まあそんな事もあり、さらにはここからしばらくCMの提供がセガから「Dreamcast」へと変化していた。CMの内容の是非はともかく、やみくもにアピールしたおかげで一般層への認知度は高まった事は間違いない。

 

この当時、ほとんどの情報源は雑誌であったのだが、当時テレビ朝日の深夜にて人気を博していた「トゥナイト2」がちょくちょくゲームを扱っていたので、確かDCの映像などもここで見る事が出来たかと思う。確かにそのグラフィックはPSもSSも圧倒しており、ようやくアーケードと同じレベルのゲームが遊べるという訳で胸がワクワクしたものである。

 

しかし、実はここには大変な落とし穴が待っていた。家庭でアーケードレベルのゲームが遊べるという事は、当然「ゲーセンに行っても家と同じ」な訳である。ゲーセンが衰退するという事は、イコールそれまでアーケードの移植物が命綱であったセガにとっては大変な痛手となる訳だ。私はすでにゲーセンにはあまり行かなくなっていたので、アーケードレベルのゲームが遊べて嬉しい、程度しか思っていなかったのであるが、ゲーセンの雄であるセガ自らが衰退の道筋を開いてしまったのはなんとも皮肉であった。