そして1998年11月27日の発売である。前評判は高かったものの、Wikipediaにもあるように発売日までに十分な量を用意する事が出来なかった、と言うのは当時でも報道され、それが影響したか秋葉原などではそれを求める列が絶えず、当然即日完売したため、世間的には人気商品と言うイメージを与える事に成功した。
しかし、年末商戦に売り出す事が出来なかったダメージは非常に大きく、これが後々ボディブローのように効いていく事になる。ローンチソフトは4作品であったが、当然目玉はバーチャファイター3tbである。しかし、一応デフォルトでネット接続が出来るハードであったにも関わらず、ソフト自体通信対戦には未対応であるため、ゲーセンのような不特定多数との対戦は期待出来なかった。
まあ、あった所で所詮33.6kbpsのアナログ電話回線、1MBのデータを読み込むだけでも大変な時間がかかる当時としては、格ゲーでのネット対戦などは無謀に等しいので、あっても大して変わらなかったかとは思うが、それでものちに一応ブロードバンド対応もされた事を考えると、やはり通信対戦は積むべきだったとは思う。
また、当時の格ゲーマニアはほぼ100パーセントアーケードゲーマーであったので、アケコンは必須だった。ただでさえ使いづらい純正コンであるのだから当然なのであるが、アケコンなど所詮マニアックなものであり、周辺機器の中でも入手しづらい代物である。それでいて、セガ純正ながらレバーがゴミのような仕様であり、まともにプレイ出来たものではなかった。
この当時、バーチャスティックプロなどの例外はあったにせよ、基本的に1万超えのアケコンなど考えられもしない時代である。当然、三和電子純正レバーの搭載などありえず、かろうじてHORIのが使える程度であったのだが、それでもアーケードの雄であるセガがリリースしたとは考えられないほどの粗悪な代物だった。
そして翌月にはもう一つの目玉である「ソニックアドベンチャー」も発売されたが、ソフトは出てもそれを遊ぶハードが買えないという有様。いつ頃在庫不足が解消されたのかは覚えてはいないのだが、その最中に運の悪い事にPS2が発表されてしまうという間の悪さ。しかも、初代PS互換かつ当時まだまるで普及していなかった未来のメディアである「DVD」が搭載されるとの事。当然、ゲーマーの間にはハードの買い控えが起きるのは当然であり、この時点でもはやDCに勝ち目はなかった。
半年ぐらい経って、テコ入れのために突然1万円引きで販売されるが、別に新型を発表した訳ではなく本当にただ割引しただけなので、つまりは1台売るごとに1万円の赤字が発生したという訳である。ソフトで赤字をカバーしようとも、そもそもハードが普及していない訳であり、販売本数も惨憺たる有様だった。当然、メーカーもDCへの供給は絞るようになり、まさに負の連鎖だった。