追悼・アントニオ猪木・その25 | ONCE IN A LIFETIME

ONCE IN A LIFETIME

フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

一時は栄華を誇ったPRIDEも、反社との繋がりが明るみに出た直後にフジテレビとの契約を切られ、盛者必衰のごとくあっさりとその歴史を終えてしまう。しかし、これでプロレス界に流れが戻ったとかそういう訳ではなく、依然として新日本プロレスは低迷したままだった。まあ、その最たる原因としては格闘技の影響も確かにあったとは言え、いわゆるイケメンでカリスマ性に溢れるスターが皆無だったことが一番だったと思う。

 

いわゆる当時は「第3世代」が中心であり、中西などを除けばプロレスの上手い連中が集まっていたとはいえ、やはり客商売である以上かっこよくてナンボである。新日本の歴史を紐解いても分かるよう、猪木を筆頭に、佐山、前田、高田、武藤、船木と言うイケメンの系譜は受け継がれてはきたのだが、ここに来て突然それが途絶えてしまったからである。一応、この頃には内藤哲也などが入門はしているのであるが、そんな内藤でもLIJでブレイクを果たすまでには10年近い歳月が必要だった。

 

そして、新日本を離れた猪木は独自でIGFを立ち上げるも、元週刊ファイトの井上氏からも指摘されていたよう、かつてのUWFのような格闘プロレスは観客のニーズからは完全に離れており、大ブレイクを果たす事はなかった。一応、プロレスと格闘技の試合は色分けされていたようであり、私もヒョードルと石井慧が対決した時の大会はニコニコ動画のPPVで見た事があるぐらいである。

 

まあ、猪木は精力的に活動していたようであるが、私自身は熱心にプロレスや格闘技を見ていた訳でもないし、PRIDEから枝分かれした団体も長続きする事はなくTBSによる地上波の中継も打ち切られるに至った。しかしそれから数年後の2013年、日本維新の会から猪木が3度目の参議院選挙への立候補を表明、見事2度目の当選を果たす。

 

この時の新宿駅や川崎駅での様子が今でもYouTubeで見る事が出来るが、びっくりするような人だかりで今見ても嬉しくなってしまうほどである。おそらく大半は全盛期どころか、試合も見た事のない人ばかりであったと思うのだが、それでもこれだけの人たちを引き付けられる事が出来るのだからやはりその存在感は別格であり、現役のレスラーが逆立ちしてもかなわない、と実感させられたものだ。