追悼・アントニオ猪木・その26 | ONCE IN A LIFETIME

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フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

この頃、いくつか猪木関連の本を読んでいた。覚えている限り、「アントニオ猪木の謎」「アントニオ猪木自伝」そして話題作となった「1976年のアントニオ猪木」である。「アントニオ猪木の謎」は、プロレスラーとしてではなく主に政治家時代の話が語られており、議員になる前からJRは顔パス、飲酒運転の検問でも猪木が挨拶したら警官が敬礼してノー検査と言うエピソードが個人的には好きだった。

 

「アントニオ猪木自伝」は、おそらく猪木の自伝的本では最もスタンダードなものだと思う。これは前述の著書の著者がゴーストライターとしてまとめたものらしいが、猪木が最初に結婚したアメリカ人女性の話は私もこれで初めて知ったクチである。それ以外にも、猪木の歴史が余すところなく語られており、猪木を知る上では欠かせない本である。

 

「1976年のアントニオ猪木」は、その後柳澤健氏が何度も上梓する事となる「~年」シリーズの記念すべき第1作目だ。この本が柳澤健氏の名前を有名にしたと言っても過言ではないのであるが、内容的には批判的な面も多く読んでて気持ちが良くなる類の本でもない。特に、新間寿氏と猪木が仲違いしていた頃に上梓された事もあり、新間寿氏の「アリ戦は立ってのキックが禁止ではなかった」説をほぼ真実として描いているので、どうも読んでいて気分の良いものではないのだ。

 

さて、見事に議員に返り咲いた猪木であるが、その直後から北朝鮮渡航を繰り返すなど、批判の格好の的となったため、正直個人的にはあまり良い気分がしなかったものである。猪木が叩かれるのも気分悪いし、何よりどうして敵国である北朝鮮にそこまで拘るのかも意味が分からなかった。これで拉致被害者の件が少しでも前進してくれれば何よりだったのであるが、その辺りも良く分からずのままであったし、非常に複雑な思いで見ていたものである。

 

そして、私自身は2018年の1月4日のドーム大会をきっかけに、再び新日本プロレスを見るようになるのであるが、まあ当然の事ながら猪木が関わっていた時代とはかけ離れた光景がそこにはあった。辛うじてライガーや鈴木みのる、そして第3世代らの顔もあったものの、興行の顔は完全にオカダ、内藤、棚橋らに入れ替わっていた。当然猪木のいの字もなく、それどころか猪木の名前を出す事すら憚られる雰囲気があったものだ。

 

そんな時、パンデミック直前の2020年1月6日、大田区体育館におけるライガーの引退式において、VTRながらも久々に猪木が新日本の会場に登場した。この時は私も現場にいたのであるが、驚きと同時に複雑な思いを受けたものである。そして、翌月の北海道の試合後、オカダが唐突にアントニオ猪木の名前を出し、その後Number誌上にて対談が実現。

 

ほとんど猪木と接点がなかったはずのオカダが、そこまで猪木に熱心なのも不思議だったが、結局病に冒された猪木の新日本登場は叶う事はなかった。