前回のように、その頃になると大分アーケードゲームに対しての自身も付き、そして自分は家庭用オンリーのプレイヤーたちとは違うんだぞ、というプライドも芽生え始めていた。これはゲーメストアイランドにおいても見られていた傾向であるが、当時のアーケードゲーマーというのは一様に家庭用ユーザーに対して上から目線であり、「お前らとは違う」というプライドを常に抱いていたものである。
これは一種の選民思想的なものだったかも知れないが、実際の状況を考えてみればそう思ってしまうのも当然である。1度のプレイに金がかかる事による集中力の違いが、上達に差が出る最大の理由なのであるが、それに加え、家庭用では「時間さえかければ誰でもクリア出来るゲーム」が主流であった事も大きい。
これは特に「ドラゴンクエスト」以降、RPGが主流になってからの傾向なのであるが、全てのゲームが時間さえかければ、であったかと言えばそれは絶対にそうではない。むしろ、理不尽な謎解きも多く、一筋縄ではいかないものばかりであったのだ。ただ、それでもRPGというのは解法さえ分かれば先に進める訳であり、それが攻略を知っていてもクリア出来るとは限らないアーケードとは大きく異なっていたのは間違いではない。
まあ、実際に攻略を知っていたとしても、初代の「女神転生」のような非常に厳しいゲームもあるにはあったし、攻略さえ分かれば全部解けるゲームばかりではなかった事は事実である。ただ、やはりRPGは「時間さえ」かければ誰でも最後までいける、というのが完全に浸透しており、さらにそれがユーザーの間口を大きくした事も確かであるため、誰もがクリア出来る訳ではないアーケードゲームと一緒にするな、という声が大きくなってしまったのは致し方ない事でもあったのだ。
それが当時のアーケードゲーマーの傾向であったのだが、ゲーセンに通い始めて2年も経った頃、そのようなゲーマー像に私が染まっていった事は確かである。もちろん、そうはなっても家庭用はプレイはしていたのではあるが、ほとんどのゲームがアーケードの移植物となり、そしてゲームハードはPCEとMD中心、任天堂関係はストIIとファイプロ以外はほとんどプレイしなくなったものである。
そして、1番の拘りはコントローラーだ。その頃になると、当然レバーにも完全に慣れており、その慣れと、そしてゲーマーとしてのプライドが重なって、十字キーではプレイしたくなくなっていくのである。しかし、当時はセイミツや三和電子のパーツを使用しているアケコンなど皆無であり、正直おもちゃに毛が生えた程度のものばかりであった。その中で、唯一アーケードと同等な代物が、シグマ電子から発売されていたセイミツパーツ完全使用のアケコンである。
本来は基板用なのであるが、コードを付け替える事によって、SFC、PCE、MDにも使う事が出来た。これを1993年1月から使用し、シューティングはもちろんの事、SFC版ストIIもアーケードと全く同じ操作感覚でプレイ出来るようになったのだ。