アーケードゲームを愛す・その19 | ONCE IN A LIFETIME

ONCE IN A LIFETIME

フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

ストII以前のゲームは後追いでプレイせざるを得なかった私は、ゲーメストの「レゲーの魂」は貴重なレトロゲームの情報源だった。そこで前回触れたよう、沙羅曼蛇が向ヶ丘遊園駅前のゲーセンにあるという情報を遂に入手したという訳である。早速向かった私は、遂に念願の沙羅曼蛇と対面を果たした。しかも、あのステレオスピーカー付きのオリジナル筐体である。もちろんボロボロであり、さらに画面も異様に暗く、1面の背景の網が全く見えないほどであったが、ギリギリプレイに支障はないレベルだった。

 

話は前後してしまうが、相模大野のCD屋であるTAHARAは異様なまでにゲームビデオのラインナップが良く、あの初代・沙羅曼蛇・IIのビデオが収録された「コナミ・シューティングベスト」のビデオまでそこで入手する事が出来た。という訳で、実は沙羅曼蛇をプレイする前にすでに攻略自体は見ていた事になる。それでいて、さらにはPCE版もプレイしていた訳だから、すでにある程度のコツは掴んでいたという訳である。

 

しかし、結局1周クリアは出来ず、4面のボスが最高だったかと思う。ここはご存じのよう、電源投入直後のプレイだと青玉が出てきてしまうので、右下の安地を使わざるを得なかったのだが、ここの位置合わせがかなりシビアであるため、それでどうしても抜ける事が出来なかったのだと思う。

 

そして、当時の最新号であったゲーメスト2月号では1991年度のゲーメスト大賞が発表され、当然のようにストIIが大賞を受賞し、その他の賞もほとんどが独占となった。唯一取れなかったのは、ベストシューティングは別として、ベストグラフィック賞だけであったはずである。これはスターブレードが受賞したが、確かに当時としては最先端の3D基板と大型筐体を使用はしていたものの、あくまで基板の性能に大きく依存するものだったため、個人的にはこれもストIIでおかしくなかったかと思う。

 

当然、ストIIは2DのみのCPS基板を使用しているが、その動きの滑らかさは当時としては驚異的なものであり、従来のゲームのレベルを遥かに凌駕していた。まるで本当に息をしているかのようなその動きに、誰もが圧倒、そして魅了されたものである。それほどまで、ストIIのグラフィックは別次元を行っていたのだ。

 

そして、ゲーセンでは対戦が大流行りであったのだが、やはりキャラの格差が大きく、さらに初代は同キャラ対戦が不可能であるため、勝ちに拘るのであればガイルかダルシムを選ばざるを得なかった。そんな場の空気を読んだか、カプコンはその2月号において「ストリートファイターIIダッシュ」の発売を発表する。まだ画面写真もなく、さらにその名前からして冗談とも思ったものだが、もちろん正式な発表であった。そして、3月号において、四天王を含む12人が全て選べるキャラセレクト画面が初公開されたのである。