久々に英語のお話。
基本的に、日本では英語が話せるとカッコいい、と言う認識が根強い。実際、インタビューなどでも英語を話しているだけでカッコいいという印象を受けてしまうし、香港映画などでも英語になっただけで全体の雰囲気が一気に締まるような印象を受けてしまうものである。そして、面白いのが、英語が話せなかった当時はもちろんの事、ある程度話せるようになった今においてもそれは変わらないという事である。
つまり、英語を話しているというのをカッコいいと思うのは、単純にもうこれは英語自体がカッコいい言語であると思うのだ。それがはっきりと分かるのが、他の外国語において同じ印象を受けた経験が皆無に等しいからである。同じ欧州の言語であれば、他のアジアの言語よりも多少はカッコいいとは思うかも知れないが、それでも英語ほどの印象はないし、別に話してみたいとも思わない。と言う訳で、これはもう英語の文体、響きそのものがカッコいいとしか思えない、と言う事だ。
もちろん、これが世界語となった理由としては、イギリスが七つの海を制覇した事、そしてその植民地であったアメリカが戦後超大国となり西側諸国のリーダーとなった事などが最大の要因だったとは思うのだが、それに加えてカッコいいともなればそれは普及して当たり前である。カッコいいからこそ、みんな真似したいと思うし、話せるようになってみたいと思うものだ。
また、カッコいいというイメージに加えて、英語が話せると頭が良い、聡明と言うイメージを相手に与えらえるというのも、実は案外世界的に共通している傾向だったりもする。前述のように、普及した理由のひとつに他の欧州言語よりもシンプル、イコール習得が困難な言語ではないにも関わらずその傾向があるのは不思議でもあるのだが、少なくともアジアにおいては英語が出来るだけで聡明な印象を与えられるのは確かである。