SFC版ストIIが発売された頃は、いわゆる中古含むゲームショップの全盛期だったかも知れない。それに加え、本体発売から1年半以上過ぎていた事もあり、SFCの中古市場もかなり確立されていたので、新品だと高くて買えないソフトも、ようやく中古でそれなりの価格で買えるようになってきたのだ。という訳で、この頃からは余程の注目作以外は、中古で買うようになる。
その一つが以前触れた、「WWFスーパーレッスルマニア」だ。当時、クラスメイトの影響もあって再びプロレスを見るようになっていったのであるが、通学途中のレンタルビデオ屋のプロレスビデオが非常に豊富であり、新日本はもちろんWWFもよく借りるようになっていった。その影響もあって、このゲームに手を出してみたのだが、とにかくとんでもないクソゲーであり速攻売り飛ばしたものだった。
その要因としては、まず全員同じ技を使い、基本的に必殺技などの固有の技もない事。まあ、プロレスゲームと言うのは「かけるモーション」だけでなく、「固有のやられるモーション」まで入れなければならないため、大変容量を必要とする訳である。そういう意味でも、かつての「タッグチームプロレスリング」などは、同じ相手にしか必殺技を仕掛けられなかったという訳だった。なので、その辺りは仕方がないのであるが、このゲームはなまじグラフィックが綺麗なだけに、技そのものの数もとてつもなく少ない。
なので、もはやプロレスゲームというよりも、単なる出来の悪いアクションゲームに過ぎず、ゲーム性もクソもないのだ。今なら動画でも探せば出てくるかも知れないが、とにかく擁護の出来ないほどのクソゲーだった。
それとは全く対照的だったのが、今は亡きプロレスゲームの雄であったHUMANが放った「スーパーファイヤープロレスリング」である。これは以前、プロレスゲームを語った時に詳しく触れたと思うが、これは本当に良く出来たプロレスゲームだった。それまで、ファミコンも含めて色々プロレスゲームは出ていたとは言え、このゲームをプレイして初めて「本当のプロレスが」ゲームで再現出来たと思ったものである。
これの元祖は言うまでもなく、PCE版の「ファイヤープロレスリング・コンビネーションタッグ」だ。第1弾がPCEというのは意外な気もするが、当時はSFC発売前で、ファミコンではスペック不足だった事、そしてメガドライブはまだまだ普及前だった事から、まあ消去法にはなるが最も無難なハードがPCEだったからだと思う。そして、PCE版で2作リリースされた後の3作目となるファイプロが、この「スーパー」であり、そしてここから「ファイプロ」の人気と知名度を不動のものとなる。
このシリーズは、初期からなんとなく新日本寄りなイメージがあるのだが、ここからは全日系の選手も加わるようになった。何故かのちのペガサスキッドや、アルティメット・ウォリアーをモチーフとした微妙な人選もあったのだが、一応ここから全日本系ファンも楽しめるようになっていった。私は新日本系であったが、ゲームとしてプレイする以上やはり強くて爽快なキャラの方が面白い訳であり、そういう訳から主に三沢光晴を選んでいた。
当時、必殺技として売り出していたフェイスロックが未収録だったのは残念だったが、その代わりに何故かムーンサルトが使えるようになっており、タイガードライバーからそれを決めて3カウント、というのが私のお気に入りだった。そして、主要スタッフのひとりが前田日明の大ファンと言う事もあってか、前田の数値が異常に強く、打撃からのキャプチュード連発で簡単に勝てたものだ。
と言う訳で、ここからしばらく、私のSFCはほぼストIIと、ファイプロを中心に展開していく事になる。しかし、その頃ようやくあの怪物ソフトの発売も決まり、世の中はそれ一色となっていく。もちろん、あの「ドラゴンクエストV」である。