周辺機器とは少し違うが、当時のファミコン雑誌のゲーム画面は、自宅のそれと比べると異様に鮮明である事に気づいていた。特にスーパーマリオのオーバーホールの部分が非常にくっきりであり、これが家庭用のテレビではどう調節しても滲んでしまい鮮明に見えなかったのだ。
当時はそれが何故なのか分からなかったのであるが、もちろん答えはマイコンピュータTV、通称シャープC1のおかげである。ファミコンを唯一RGBで映せる機器という事で、ファミコンユーザーには垂涎の代物だった。もちろん、当時は単なるモノラルテレビですらそれなりにしたので、C1ともなれば当然10万以上の代物であり、持っている人などほとんどいなかった。ところがクラスに一人だけおり、その人とは近所の神社の娘さんだったのだ。
まだC1の正体も知らなかった頃であったが、さすがに小学生とは言えど家まで遊びにいけるほどの親密な仲ではなかったので、実物を見る事は叶わなかった。しかし、それから時は流れて2010年代、香港の日本文化ビルとして名高い「信和中心」になんと完璧に稼働しているものがあったのだ。あいにく非売品ではあったものの、まさか香港であのC1を見る事になるとは想像もしていなかった事なので、これは非常に貴重な経験だった。
そんな憧れのC1であったが、形状上の理由からディスクシステムは接続出来なかった。そして、「燃えろ!!プロ野球」以降、かなりのゲームの広告に「シャープのC1では使用できません」との注意書きが目立つようになる。おそらく特殊なチップを積んでいる都合からだろうが、当然RGB画質は使用出来ないため、それらのゲームだけ色が滲んでいたりしたものだ。ただ、ファミマガなどは早くからビデオプリンターを導入していたため、比較的劣化は少ない画像だった。
そして、C1以降にゲーム画面の助けとなったのが、編集ファミコンこと「ファミコンタイトラー」である。Wikipediaでは前者のタイトルで掲載されているが、後者の方が通りがいいだろう。こちらはS端子に対応している唯一のファミコン本体である。ファミマガやファミ通などはおそらくRGB出力に改造したファミコン本体を使用していたかと思われるが、さすがにそこまでのものは用意出来ない週刊少年ジャンプのドラクエIVの記事などは、それを利用していた。
90年以降であれば大抵のものはS端子が搭載されていたため、少しでも綺麗な画質でプレイしたい自分などはファミコンタイトラーに憧れたものであるが、さすがに43000円は高価すぎるし、しかも当時は自分のテレビすらなかった時代だったので致し方なかったものだ。