ファミリーコンピュータを愛す・その49 | ONCE IN A LIFETIME

ONCE IN A LIFETIME

フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

エミュレータに関してはググっていただいた方が早いと思うので、ここでは覚えている限りの周辺機器を紹介していこうと思う。私が初めて購入したものと言えば、黄色いデザインと操縦桿タイプのスティックが印象的な「ハドソンジョイスティック」である。

 

ファミコン初のジョイスティックと言えば、スピタル産業が発売したこれもまた操縦桿タイプの「ファミリーキング」である。これは近所のお店にファミコン本体を買いに行った際にあったので、よく覚えているのであるが、画像検索していただければお分かりのように当時の時点でもすこぶる評判が悪かった。ジョイスティックというよりフライトスティックな感じであるが、もちろん当時はそれを必要とするようなゲームもなく、しかも基本右手でのプレイが標準であったので、本当にどうしようもない代物だったのである。

 

なので、前述のハドソンスティックこそまともなスティックの第1号であったと思う。しかし、こちらも操縦桿タイプのため、大抵の子供たちはその部分を全て掴んでプレイして行ったはずである。当然、全く上手く操作出来る事もなく、すぐに使うのをやめてしまったものだった。結局宝の持ち腐れとなってしまったのであるが、いつだか忘れたものの、かの高橋名人が根元を掴んでプレイするのを見た。

 

それでようやく正しい使い方を理解した私は、「スターソルジャー」の前哨戦的な意味で「スターフォース」をそれで練習していったものである。そして、スティックとは対照的にボタンが凸型で非常に連射しやすく、自然に痙攣撃ちをマスターする事ができ、ラリオスも簡単に倒す事が出来るようになった。もちろん、スターソルジャーも発売してすぐに5方向でラザロを倒す事が出来たので、仲間内では一躍ヒーローになったものである。

 

しかし、もちろんそれは購入してかなり経った後の事。「スターフォース」発売当時は全く連射が出来なかった私は、ファミコン初の連射装置を実現させたHAL研究所の「ジョイボール」に目をつけた。ハドソンスティックよりも2ヶ月ほど後に発売されたものであるが、ボタンを押しただけで秒間15発の連射というのは非常に注目されたものである。そして、付属のコントローラー以外には対応していなかった「ハイパーオリンピック」も、スイッチを真ん中にすることによって対応する裏技により、突拍子もない記録を出せたものである。

 

ただ、ボール状のコントローラーは非常にやり辛かった。なので、大抵の人は手で付属のコントローラー、足でボタンを押しながらプレイして行ったと思われる。以降、それに続くボール状のものが出なかった事からもお察しだろう。

 

そして、ファミコン初期ながらいきなり決定版的なアケコンも発売されていた。いうまでもなく、かの「アスキースティック」である。定価8800円と、周辺機器としてはかなり高価な代物だったという事もあって、私はもちろんクラスメイトも誰一人所有していなかった。つまり、私は今の今まで操作どころか実物を見た事すらないのである。

 

しかし、それでも当時のユーザーには非常に著名だった。もちろんその価格もあったが、一番は当時メディアに出まくっていた毛利名人の愛用アケコンだったのである。YouTubeにも上がっており、こちらではファミコン版グラディウスをそれでプレイしている映像が確認出来る。毛利名人は元々アーケード育ちであるので、これは願ってもない代物だった事だろう。

 

金属製のガワと、当時アーケードでメインだったセイミツのパーツを使用しているという、アケコンとしては完璧な製品である。その後の製品では付加価値をつけた代わりに、パーツがオリジナルのものとなってしまったので、2度とその操作感を再現した製品が出る事はなかった。ただ、それだけに初代アスキースティックの価値が下がる事はなかった。初代にしていきなり伝説を作った、今なおファミコン初期を代表する周辺機器と言える。