「悪魔城伝説」は、ゲーム的には全くクリアまで届く事もなく返してしまったが、あまりにもBGMが強烈だったので、2年後ぐらいに中古で500円で買う事が出来た。当然ROMのみであったのだが、その出来や相場から考えても500円というのはお買い得であっただろうとは思う。
そして、年末と言えばファミスタである。この年ももちろん新作であるファミスタ91が発売された。バックアップが廃止されスケールダウンは否めなかったものの、新たに守備力が設定されたのも確かここからではなかったかと思う。なので、それまでは誰に代打を出しても関係なかったが、ここからはそうもいかなくなった、という訳である。また、この年はスーパールーキー野茂英雄が球界の話題を独占した年であり、当然ファミスタにもトルネード投法が再現された。
隠しチームも相変わらず健在だったが、やはりファミスタ90がバックアップ搭載という事もありかなり完成度が高く、以前も触れたがここでファミコン版ファミスタの頂点を迎えた感があったため、やはり91はスケールダウンが否めずさほどプレイする事もなかった。そして、当時はなんと言ってもやはりSFC時代の到来であり、プレイする機会はゼロだったとは言っても、その記事を読む度に早くプレイしたくてたまらなかったものだった。
特に、マリオはもちろんの事、当初あまり期待されていなかったF-ZEROの評価が非常に高く、当時辛口で有名だったファミ通のTACOX氏が初の10点を付けた事からも大変話題となったものだ。ゲーム業界でもF-ZERO中毒者が続出し、特に旧スクウェアなどではF-ZERO禁止令まで出されたという。そして、MUTECITY-Iにおけるタイムアタックが大流行していた当時、ファミ通ではその大特集が組まれ、プレイした事のない私でさえも大変面白い記事だった。
イコール、相対的にファミコンへの注目度は下がる一方だった。それはまあ当然なのであるが、という訳でこの辺りではあまりファミコンをプレイした記憶がない。3月になり幸運にも本厚木ミロードにてSFC本体予約のニュースを聞きつけた私は、早速そこへ向かい、それからちょうど1週間後に遂に購入する事が出来た。今のPS5ほど入手困難であったはずなのだが、当時はまだネットもなく転売屋も彷徨していなかった事も幸いしていたのだろう。
まだゲーセン文化を知らなかった私のこと、当然SFC版グラディウスIIIや、F-ZEROのグラフィックには驚嘆し、特に後者のタイムアタックはそれこそ猿のようにやり込んだものである。MUTECITY-Iの2分の壁は非常に厚かったが、かろうじて切る事は出来た。しかし、それでも1.59.95のようにギリギリであった。軽く2分を切れるようになったのはもっと後の事である。
話はそれたが、それでもまだ注目のソフトはあった。それは、ファミマガがコナミと合同で進めていた読者応募企画である「芸夢工房」である。ここから生まれたのが、かの「ラグランジュポイント」であった。