ディスクシステムとゼルダの伝説で盛り上がっていた当時、もうひとつコロコロコミックの読者内で持ちきりだったのが、スターフォースの続編、かつ86年度のキャラバンソフトについてである。当初、「スーパースターフォース」という名称で紹介されていた記憶は間違いなくあるが、後に改題されて「スターソルジャー」となった。
この辺りの諸説はいくつかあるが、私の知る限りでは「本家のテクモが続編を出す事になったので、スーパーの使用はNG」となった、というのが定説だと思っていたのだが、どうやらそうではないらしい。この辺りの説明はコロコロ内でも触れられていなかったので、まあ大人の事情であろう。ただ、後にファミコンオリジナルでテクモから「スーパースターフォース」が発売されたのはまごう事なき事実である。
そして、4月にはおそらく歴史上初となるファミコンの特番がテレ東にて放映された。とうの昔にビデオは紛失してしまっているので今や見る事が出来ないものの、私の記憶にある限りではスタジオゲストにグラディウスをアスキースティックでプレイする毛利名人、そしてスターソルジャーの特集で高橋名人がVTR出演していたと思う。この時のスターソルジャーはまだプロトタイプと言ってよく、発売バージョンとはかなり異なる部分があった。
この時にはすでに16連射を売りにしていたが、スローで測った所13連射が最高だった。「調子の良い時には16連射〜」というフォローが入ったが、調子でそんな変わるのかは不明である。後半はマリオ特集であったが、初代スーマリはやり込みはしたものの大ファンという訳でもなかったので、主に名人のパートと新作情報ばかり見ていたものだ。
そして、この時に初めて初代ドラクエの画面が紹介されたのだが、無論この時は数あるうちのひとつでしかなかった。そしてさらに1ヶ月後、今度はなんとフジテレビにてファミコンの番組が放映された。こちらでも高橋名人が出演し、スターソルジャーのデモプレイを行った。さすがにほとんど完成品であったが、それはもう発売が待ちきれなかったものである。
そして6月13日、遂にスターソルジャーが発売。当時は金曜日発売が恒例だったので、この日も当然金曜日である。もちろん学校であり、さらにまだそんな大金を持って外出などは出来ない頃だったので、母親に頼んでお使いのついでに買ってきてもらったのだが、お店のミスにより5500円払う羽目となってしまった。幸い後日返金となったのだが、何故このようなミスがあったのかは謎であるが、おそらく自分だけではなかったのだろう。
そして、ハドソンジョイスティックを片手に初プレイである。事前にスターフォースで練習はしていたのであるが、さすがにいきなり名人のようにはいかなかった。ただ、一応痙攣打ちはマスターしていたので、すでに5方向でラザロを倒せるだけの連射力はあった。当時は連射が出来ればそれだけでヒーローになれたのだ。