1985年の年末商戦は特に目玉ソフトもなく、おそらくまだスーパーマリオブラザーズが孤軍奮闘していたような感じであったかと思う。そんな時、またもやコロコロコミックは蜜月関係だったハドソンの2つのソフト、ボンバーマンとバイナリィランドをプッシュしていく。ぶっちゃけどちらも微妙なソフトではあったが、ボンバーマンに関しては後にシリーズとして昇華していくので、これに関しては記念すべき1作と言えるかもしれない。一応、元祖はPCらしいのであるが、家庭用に関しての元祖は紛れもなくこのファミコン版である。
そして、このボンバーマンというのは50面もあるため、通しでプレイすると相当な時間をかける事となる。当時、子供たちが勉強、そして外で遊ばなくなった弊害としてすでにファミコンへの風当たりは強くなっていき、さらにまだテレビは家族で共有するものだったので、とても子供が長時間プレイするなどは不可能だったのである。そこで、「シークレットコード」と称したパスワードが搭載された。この名称はチャンピオンシップロードランナーでも採用されたが、これは面ごとに固定されているものだったので、キャラの状態まで記憶されるパスワードはおそらくファミコンではこのボンバーマンが初めてだった。
確か「リモコン」のアイテムなど、全てが記憶された訳ではなかったかと思うが、しばらくして最初からリモコンが使えるパスワードなども紹介されていった。このゲームはパワーアップしないと全く面白くないので、その辺りのテコ入れなどもあったのだろう。それなりにプレイした記憶があるが、やはりこのゲーム性で50面というのは少し間伸びが過ぎてしんどかったと思う。
その頃、それらとは別にコロコロコミックにて猛プッシュされているゲームがあった。それはずばり「忍者ハットリくん」である。1980年代前半からの「ドラえもん」の爆発的ヒットにより、当時は藤子不二雄作品が大人気、ドラえもん以前のものもリメイクされて放映されていたのであるが、当然ハットリくんもそのうちのひとつであった。アニメものは大体バンダイ、もしくはエポック社が版権を所有していたのであるが、このハットリくんと、そして翌年発売された「ドラえもん」などはハドソンに渡された。
確か最初は12月頃発売だったような記憶があるのだが、完成度を高めるために3月発売となった。ゲーム的には大して名作とも思えないのであるが、作品の知名度もあってかミリオンセールスを記録したという。まさに藤子不二雄全盛時代を象徴しているかのようなゲームだった。
そして、当時のアーケードゲームメーカーは自社生産を行っているのがほとんどであったが、そのうちのひとつにアイレムがあった。後のR-TYPEで大ブレイクしたアイレムであったが、当時はまだ弱小と言っても良かった。ファミコンではソフトよりも「発光ダイオード」で有名になったメーカーであったが、やはりその名を一気に知らしめたのはかの「スペランカー」であった事は間違いないだろう。