ファミリーコンピュータを愛す・その4 | ONCE IN A LIFETIME

ONCE IN A LIFETIME

フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

そして1985年、ファミコンの可能性に目をつけた小学館が、ラジコンに代わり一気にファミコンをプッシュし始める。かつて、「スペースインベーダー」の大ブーム時に、コロコロが「ゲームセンターあらし」を連載開始させて以来、「タイアップしたホビーを題材とした漫画」を連載するのはコロコロの常套手段だった。その例に漏れず、ファミコンを題材とした漫画をスタートさせた。その名も「ファミコンロッキー」である。

 

Wikipediaによると1985年3月号より連載とあるので、実質2月スタートという事になる。つまり、「スーパーマリオブラザーズ」でファミコン人気が爆発する遥か前の事になるので、そう考えると随分思い切ったのだな、と今更ながら思う。のち単行本も買った事もあって、初期のエピソードは結構覚えているが、その第1話目も未だ覚えており、最初に扱ったゲームは「F1レース」であった。「ゲームセンターあらし」もかなり荒唐無稽であり、完全にゲームはおろか人間の能力をも超越したレベルまで達していたが、このロッキーも同じ路線を行っていた。

 

まあ、地球を救う規模まで行ったあらしとは異なり、そこまでの域には達していなかったものの、それでもファミコンの限界を超えた裏技のオンパレードであり、純粋な一部の子供たちは大いに騙されたものであった。この漫画がどれほどファミコン人気に影響を与えたかは定かではないが、少なくとも初期はそれなりに人気があったはずであり、普通に楽しめたものだ。

 

そして、漫画だけでなく、あるメーカーともタイアップを組んでいった。それがハドソンである。子供心に、やたらと「チャンピオンシップロードランナー」や、クソゲーとして名高い「バンゲリングベイ」などがフォーカスされているな、と思ったものだったが、実はそういう大人の事情である。それが決定的となったのは、ファミコン版「スターフォース」である。アーケードでもヒットを記録したゲームであったが、この夏に当時としては考えられない規模のファミコン全国大会が開催された事もあり、おそらく大多数の人たちはファミコン版を真っ先に思い浮かべるだろう。それだけ当時としてはインパクトがあったのだ。

 

そして、同時に誕生したのが2人の名人、高橋名人と毛利名人である。この時にすでに名人呼ばわりされていたのかは記憶にないが、前者に関しては「チャンピオンシップロードランナー」のイベントを開催した際に、名人と呼称したのが最初という事である。ゲームがあまりにも難しい、という事で行ったデモらしいが、確かに攻略本なしでは小学生には解けないレベルのゲームである。

 

そしてそして、我が家に遂にファミコンがやってきたのもこの年の6月である。つまり、私がファミコンロッキーを夢中で読んでいた時には、まだ家庭にファミコンがなかったのである。まあ、おそらくほとんどの家庭がそうだったとは思うのであるが、ファミコンを持っていない子供がファミコンの漫画を楽しんでいた、と言うのも今となっては不思議な話である。まあともかく、ここでようやくファミコンと私の思い出が直接リンクし始めていく事になるのだ。