1984年夏の時点ではその程度の認識だったファミコンであったが、それでも何故ファミコンだけがフォーカスされていったか、それはもちろんハードとソフトの質が他を圧倒していたからである。今ならYouTubeで見れるかと思うが、当時の同世代のゲーム機とのハードとは性能差が圧倒的だったのだ。「当時のアーケードゲームをほぼそのまま移植できる事を目標とした」とだけあって、画面の向きなどの違いはあれ、「ドンキーコング」や、「マリオブラザーズ」などは、当時の感覚としてはあり得ないレベルの素晴らしい出来だったのだ。
それでいて、定価14800円と、他社のライバル機よりも圧倒的に安かった。他はググれば出てくると思うが、おそらくファミコンよりも相当高かったはずである。まあ、それでも子供達にとっては目ん玉が飛び出るぐらいの価格であった訳なので、親に必死に縋り付いて買ってもらうしかなかったのであるが、それでもゲーム機としては屈指のコスパだったのは間違いない。
それを私が身を持って体験したのは、近所のスーパーに置かれていたファミコンのドンキーコングをプレイした時である。「ムーンパトロール」とどっちが先だったのかは全く覚えてはいないものの、これが私の家庭用の原体験であった事は間違いない。何度プレイしたかも覚えてはいないが、とにかく時間を忘れて夢中になったものである。それまで一方的に見る事しかなかったテレビという存在に、自分が操作出来るものが入り込んでいるのだ。これに興奮しない子供がいないと言えば嘘だろう。
しかし、夢中になれど、せいぜいチョロQ程度がおもちゃに過ぎなかった当時の私にとって、14800円というのはとても手が出る代物ではなかった。さらに、すでに触れたように「ゲームイコール悪」という当時の絶対的風潮が子供達の前に立ち塞がっていた。任天堂にとっても、これを打開するのは容易ではなかったに違いない。
専門誌が存在しなかった当時、子供達に最も影響を与えたメディアは雑誌、特に小学生男子御用達の「コロコロコミック」はその影響が極めて強かった。のちのビックリマンシールやミニ四駆も、ほぼこれがきっかけだったと言って良い。そして、ファミコンも例外ではなかった。その可能性に目をつけた小学館は、ファミコン版「ゼビウス」がリリースされた頃から次第にカラーページで特集を増やしていったかと思う。
「ゼビウス」は今更説明するまでもなく、アーケードの大金字塔ではあるものの、基本小学生はゲーセンには行けない時代であったため、その知名度をそこまで広げたのはやはりファミコン版の功績である。そして、元々のファン層に加え、このファミコン版が雑誌で紹介された効果は絶大であり、ファミコンのシューティングとしては初めてのミリオンセールスを記録、同時に本体の売り上げも一気に伸ばすこととなった。この頃になると、他社のハードはほぼ鳴りを潜め、セガがかろうじて生き残っていた感じであったが、ほぼ任天堂一強という形であった。