ストリートファイターIIを愛す・その15 | ONCE IN A LIFETIME

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フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

ゲーメスト9月号にて「匂わせ」的な告知があったが、やはりというかその正体はストIIのようやく完全新作と言える「スーパーストリートファイターII」であった。しかし、今でいうアプデ的なターボまでのシリーズならともかく、まさかここでもまだIIを引っ張るのか、という半ば呆れ的な感情を多くのゲーマーが抱いた事も事実であり、率直な感想を言えば「またかよ」と言う思いだった。

 

ここで遂に新キャラも4人追加されたが、それまでの12人に対してあまりにも思い入れが強過ぎたためがゆえ、多くの人たちは素直に新キャラを受け入れる事が出来なかった。せいぜいキャミィぐらいであり、あとの3人はストIIの世界観にはいまひとつそぐわない感じがして仕方がなかったものだ。さらに、ターボに慣れ切った我々にとってスーパーのスピードはあまりにも遅く感じてしまったのも確かだった。

 

諸事情により、8月から2ヶ月間ほどゲーセンに行くのをやめていたので、盛り上がりはどうだったのかは定かではないが、10月の時点ではいつでもプレイ出来るぐらいに台は空いていたし、対戦台も前ほど多くはなかったように思える。そして、前も触れたが同時期はネオジオが元気であり、新作の「餓狼伝説SPECIAL」はもちろん、サムスピもナコルルの異常人気もあって、ゲーセンでは未だに人気作のひとつだった。

 

9月にリリースされたため、ゲーメスト大賞は1993年度対象となった。しかし、大賞はサムスピに奪われ、その他もほとんどサムスピが独占、さらに好きなメーカーまでSNKに奪われるなど、スーパーは期待はずれとしか言いようがなかった。一応話題になったトーナメントモードも、町田のゲーセンで見かけただけで、商業的には大失敗に終わってしまった。

 

それからわずか5ヶ月後、1994年のAOUショーにて早くも続編である「スーパーストリートファイターIIX」が発表。その後長く対戦ツールとして愛されるこのゲームも、登場時は「また出るの?」としか出ず、さらにCPU戦の難易度の高さもあってほとんどやり込む事はなかった。CPU戦ではバルログぐらいまで行った記憶があるが、ワンコインクリアはしていない。

 

なので、私にとってのアーケードのストII歴はほぼこの辺りで終わっている。1991年の時点では、まさか3年後もIIを冠するゲームをプレイしていたとか想像出来るはずもなかった。ただ、家庭用はもう少し続き、この年の6月にはSFCとMDにおいて「スーパーストリートファイターII」が発売された。

 

SFCは32Mビット、MDはなんと40Mビットという、数年前のアーケードゲーム並みの大容量であったが、正直その8Mの違いはどこなのかははっきりとは実感しづらい。ただ、画面の地味さと音声の酷さを除けば、MD版の方が圧勝である。

 

また、秋頃には3DOにて「ストIIX」が移植された。色々独占的な契約があったそうであり、このおかげでPSとSSに移植されるのに3年待たなければならない羽目となった。当時は羨望の眼差しでデモを見ていたが、今YouTubeで見ると多重スクロールがオールカットされていたり、実は不完全な部分も多かった。