ストリートファイターIIを愛す・その9 | ONCE IN A LIFETIME

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フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

当時の年末と言えば、毎年恒例のゲーメスト大賞である。アーケードゲームの商業誌と言えばこれしかなかった事もあるとは言え、それでも賞自体の権威は非常に高く、ゲーメスト大賞イコールその年の最高のアーケードゲームという認識はすでに揺るぎのないものとなっていた。

 

という訳で、当然1991年のゲーメスト大賞はこの「ストリートファイターII」であった。しかも、歴代最多得票であり、史上最高に2位以下をぶっちぎった回でもあったのだ。一応、それまでの大賞受賞作も、誰しもが納得いく作品が選ばれてはいるのであるが、それでもこの年ほど「これ以外はありえない」という例はなかった。それほどまでに、この1991年という年はストII以外はとてもあり得なかった年であったのだ。

 

そして、もちろん大賞以外もほぼ独占し、ベストシューティングとベストグラフィック以外は全てストIIが選ばれた。後者に関してはスターブレードが選出されたのであるが、当時まだ目新しかった3Dポリゴン、いわば基板の性能が勝ったような印象があったので、純粋なドット絵のグラフィックで言えばやはりストIIがダントツだったのではないかと思う。この辺りはまとめの座談会でも指摘されていたので、同じように思った人は多かったのだろう。

 

ベストアルバムもストIIだったが、このアルバムはストIIだけではなく、他にUSネイビーやチキチキボーイズなども収録されていた2枚組のアルバムだった。大作と佳作のカップリングというのは当時のサイトロンの常套手段であり、ぶっちゃけこのような抱き合わせは迷惑以外の何物でもなかったのだが、まあそれでも買わせる力がストIIにはあった訳である。

 

ただ、今では著名なゲーム作曲家の1人である下村陽子さんが作曲したVGMはどれも素晴らしく、それでも買う価値は十分過ぎるほどあった。そのメロディは今日のVにまで使用されている訳であり、実に30年もの間ユーザーからは愛されているという訳だ。また、各キャラのVGMはもちろんなのだが、それと同じくらいにキャラセレクトの画面も名曲であるかと思う。これはゲーセンで始めた頃にすでに思っていたのだが、これから闘いが始まるという高揚感を非常に良く表しており、聞くだけでテンションがあがっていったものだ。

 

さて、対戦が盛り上がっていった事もあって、この当時になってもストIIの記事は絶好調だった。手元にないのでおぼろげだが、初代のみに存在した「ガイルの封印」が公開されたのもこの頃であったかと思う。いわゆる、相打ちになった直後は、地上で一度通常技を出さないと絶対に必殺技が出なくなるというアレである。そして、記事の片隅ながら、遂にバージョンアップ版の「ストリートファイターIIダッシュ」の存在が明らかになったのもこの頃だ。

 

正直、当時としては冗談のようなタイトルで、本当にこんなの出るのかよ?という半信半疑な気持ちだったが、それは翌年の3月号で嘘ではなかったという事が判明するのである。