ストリートファイターIIを愛す・その6 | ONCE IN A LIFETIME

ONCE IN A LIFETIME

フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

そして、もうひとつの大きなイベントが、ゲーメストでは1990年の「ギャルズ・アイランド」、と同年の「ザ・ベストゲーム」に続く増刊号となった「増刊ストリートファイターII」である。もちろん、単独ゲームでは初の増刊ともなった訳だが、その出来は大変素晴らしく、さすがに業界を牽引するゲーメストの力を世に示したと言えるほどのものだった。

 

ただ、前回述べたように、早売りされた「オレンジハウス」では購入する事が出来ず、正規の発売日を待たざるを得なかったのだが、あいにくこの時は風邪をひいて寝込んでしまい、代わりに親に買ってもらうハメとなってしまったという苦い思い出も含まれている。しかし、本当にその出来自体は素晴らしく、特に全ての通常技が写真付きで掲載されているのには感動したものである。

 

一応、ゲーメスト8月号ぐらいで、全技自体は解説はされたのであるが、その時は全てイラストと文章のみであった。しかし、ストII増刊によって初めて画像付きでその全貌が露わとなったのだ。これはやり込んでいない、かつ特殊技の多かったガイルなどには特に役に立ったものである。

 

ただ、この時点で攻略はCPUが中心であった。正直、初代ストIIは簡単にパターンにハメられるので、CPUの習性すら覚えてしまえばダルシム以外のどのキャラを使用しても大差はないのであるが、当時まだまだ6ボタンに慣れていない人たちが多かった現状を考えればそれも妥当だったのだ。逆に、対戦は巻末に掲載されている程度であったのだが、この当時ですでにガイルとダルシムが2強であり、次点で春麗、以降はブランカ、リュウ・ケン、本田、そして最下位のザンギエフであった。

 

リュウ・ケンはまだ波動昇龍拳という必殺技があり、特に昇龍拳の上昇中は完全無敵だった事もあって、「飛ばせて落とす」のが必勝パターンとなっていた。しかし、初代の昇龍拳は地上でダウンを奪う事が出来ず、また波動拳の硬直も大きいものだったので、後のシリーズと比べるとめちゃめちゃ不利だった。その上通常技のリーチも判定も弱かったので、次第に順位を下げていったものだ。

 

そして、私の友人は相変わらず本田に固執していた。ザンギエフはマニアに好まれたのに対し、本田とブランカの使い手はかなり稀であり、せいぜい全キャラクリアを目指すような人しか使用していなかったレベルなので、身近に本田使いがいたのはレアだったと思う。

 

そして、ビデオと増刊という助けもあって、10月になってようやく本厚木のゲームファンタジアにおいてリュウでワンコインクリアを達成する事が出来た。実に初プレイから3ヶ月以上の事である。ゲームファンタジアと言えば当時は本厚木と町田に存在したが、シグマ直営のゲーセンであり、緑色の筐体が印象的だった当時としては比較的大規模のゲーセンだった。

 

特に本厚木は3階建てと大きく、メンテもしっかりしておりしかも50円だったので、お気に入りのゲーセンのひとつだった。新作ゲームは一階に置いてあったのだが、さすがのストIIはまだそこに置いてあったものである。そのゲーセンでワンコインクリアしたものだから、それは今でも印象深いはずである。