最近YouTubeのコメントやTwitterを眺めていると、ストIIをプレイした事がない、その時代を知らないというコメントも目に付くようになってきた。自分からすればストIIをプレイした事がないゲーマーなど考えられない事であるのだが、よく考えてみれば発売からすでに30年以上経っているのだからそれも当然である。なので、ここではそんな昔話をしていこうと思う。
とは言うものの、ストIIがこの世に登場したのは1991年3月の話であるが、私がまだゲーマーになる1ヶ月前の話であるので、その直後というのは私は体験はしていない。しかし、後になってゲーメストのバックナンバーは購入していったので、ある程度の雰囲気や状況は分かる。
まず、ストIIが初めて紹介されたのはゲーメスト4月号、つまりは2月下旬の事である。何故か画面写真は海外版であったのだが、いきなり巻頭見開き2ページで紹介されるなど、発売前から期待値は最高潮だったのだ。ここでメインの8キャラが紹介されているのだが、春麗が香港代表として紹介されるなど、一部間違いもあった。もちろん、画面の国旗を見ても分かるよう、中国本土出身が正しい。
そして、5月号は恒例のAOUショー大特集であったのだが、ゲーム紹介の他に急遽ガイルと春麗の攻略に急遽2ページが割かれた。その理由としては単に「使いやすい」「クリアしやすそう」だから、という理由であったが、もちろんこの時点では「飛ばせて落とす」という基本のみであったかと思う。
そして、6〜8月号において一通りの攻略が終わり、9月号からはその当時のトレンドを紹介する「トレンドパターン」の紹介、そして「オールパーフェクト」の攻略、そしてついにキャンセル連続技の紹介がなされた。この当時はそんな名称はまだなく、「禁断の悪魔技」としての紹介であったのだが、ここで「アッパー昇龍拳」の存在が公になったのだ。
そして、私がようやくストIIに目覚めたのがこの時である。話は前後するが、私はストIIの発売1ヶ月後に「グラディウスIII」をプレイするためにゲーセンに通い始めたのであるが、そのすぐ側で常に客がついていたのが「ストリートファイターII」だったのである。ただ、当時はグラディウスIIIに夢中だったし、シューティング以外のジャンルには目もくれず、せいぜいテトリスをプレイするぐらいだったので、元来捻くれ者という事もあって眼中になかった。
その後も5月6月と、ひたすらグラIIIのためにゲーセンに通い詰めていくのであるが、この時点ですらまだストIIはプレイはしていなかった。今はなき小田急相模原駅前のペンギンランドというゲーセンであったのだが、規模としては2階建てでそこそこ大きめではあったものの、ストIIは1台しかないし、ひたすら順番待ちも続いていったので、とてもプレイする気にはならなかったのである。
そんな私にようやく機会が巡ってきたのは、そのすぐ側にあった忠実屋のゲームコーナにおいてだったのである。