PCエンジンを愛す・その8 | ONCE IN A LIFETIME

ONCE IN A LIFETIME

フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

PCEを代表する初代「天外魔境」からわずか2年半、1992年3月26日に遂に待望の2作目である「天外魔境II」が発売された。当然、私がCD-ROM2を買った最大の理由もこれであった訳だが、実際に本体を買ったのはもう少し前の話であった。当時はまだ町田のヨドバシなどは影も形もなかったので、その頃の地元の量販店と言えばまず町田の「キムラヤ」だった。

 

確か入口の前でハードが売られていた記憶があるが、この時点では旧CD-ROM2ユニットも売られており、しかもSUPER CD-ROM2よりも割安だった。しかし、当然前者はスーパーシステムカードが必要であったので、迷わず後者を購入していったのであるが、どちらも4万以下で売られていた記憶がある。現在、ハードが1万円引きなどありえない話なので、おそらく当時はいわゆる下代、仕入れ値が破格であったという事なのだろうか。

 

因みに、一体型のDUOの価格は覚えてはいない。当然、SUPERよりも高かっただろうし、また当時は古い本体を売るという概念も場所もなかったので、SUPERの本体を買わざるを得なかった。そして、同時に買った新品のソフトは、天外魔境IIとドラゴンスレイヤー英雄伝説の体験版ソフトであり、こちらはわずか1000円だった。

 

もちろん、後日には近所のゲーム屋で何本か中古を購入したのは言うまでもない。覚えている限りでは、「イースI・II」、「イースIII」、そして「スーパーダライアス」と、いずれもファミ通で記事を読んでからずっと気になっていたゲームであった。いずれのゲームの出来も素晴らしく、また全てのゲームがほぼ全編CD音源を使用しているので、それがゲームプレイ時に初めてかかった時の衝撃といったらなかったものである。

 

因みに、なんとSUPERのユニットにはコンポジットケーブルが付属しておらず、しばらくの間RF出力で我慢しなければならなかった。そこからでもCD音源は出力されるのであるが、当然モノラルなので、後日AVケーブルを購入した。もちろん、今のようにAmazonでポチる、など出来なかったので、この場合は町田や本厚木と言った繁華街のゲーム屋を自分の足で探し回る以外なかったのだ。

 

幸い、本厚木には有力なゲーム屋がいくつか存在しており、割とあっさりと購入は出来たのであるが、さすがにAVケーブルぐらいはつけてくれよ、と思ったものだ。また、これを購入してもテレビは古いままだったので、線をビデオデッキに接続し、そこからヘッドフォンでステレオサウンドを聞くような形だった。当時はそれなりの価格でないとモノラルばかりだったので、その代わりビデオデッキにヘッドフォン端子が搭載されているものも少なくなかったのだ。

 

ゲームの話に戻るが、とにかくCD-ROM2ユニットを接続しただけで、こんなにもPCEというハードが生まれ変わるものなのか、と率直に思ったものだ。基本的に媒体がCDになっただけであり、メガCDのように音源や特殊チップを搭載している訳でもないにも関わらず、まるで同じPCEとは思えないほどのパワーアップを成し遂げていたのである。

 

特に、「スーパーダライアス」において、PCEでは不可能とされていた、完璧な2重スクロールを実現していた事には本当に驚いたものである。要はラインスクロールとスプライトなのだが、ゲームの性質上ボス戦以外でスプライト欠けが目立つ部分はあまりないので、普通に容量の力に任せてスクロールを実現していたのと思い込んでいたのである。

 

そこからPCEの虜になっていったのであるが、当時地元ではどうしても見つからないソフトがあった。それはCDのローンチであり、初代ストリートファイターの唯一の移植であった「ファイティングストリート」だった。本厚木などをしらみ潰しに探してもどうしても見つからず、とうとう私は最終手段とも言える秋葉原へと赴いたのである。